先週一週間のアクセスは、初めて1000の大台に乗って、1151となった。おかげさまで、これははじめての記録。しかし、gooのランキング1000には、残念ながら、入ることができなかった。
アクセスの記録を見ても、アクセスの多かったキーワードのトップは「煮物」で、よくわからない。これまでのパターンからすると、どこかのテレビ局で煮物についてなにか、興味深かった紹介があった結果だと思われる。数日前から、このキーワードが多い。
ともあれ、過去2-3週間のアクセス数の増加は、一日単位でいえば、40%増(といっても、100ほどが、140ほとになり、週では600-700のアクセス数が、900プラスになったという、ささやかな増加だったのであるが。いずれにしても、なんでだろう?
2005-10-30 22:06:00 |
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おかげさまで、昨日は、相変わらず、これまでの最高アクセス数をさらに更新したようだ。197のアクセスがあり、一日のランクでは、785位となっている。アクセス解析をみてみたが、特定のアクセスに山がある訳ではなく、また、選択された、キーワードにもピークがみられない。あえて指摘するとすれば、入り口(トップページ)のアクセスが、通常よりも多いこと。だから、前回の分析に続き、アクセスする方の絶対数が、かさ上げされたとしか思えない。
2005-10-29 22:43:49 |
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昨日のアクセスID数が185で、一昨日に続き、記録を更新、910位に入った。この日も、アクセスの分布からは、特徴的なものはみてとれない。可能性があるとすれば、孤野扶美子さん現象の波及効果だろう。レギュラーかどうかはわからないが、みていただいている方の数が全体としてかさ上げされたということなのではないか。
2005-10-28 21:39:08 |
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昨日のアクセスが177件あって、再び、1000位以内(971位)に入った。内容は、前回のような出張料理人(テレビ番組関連)ではないように見える。一番アクセスがあったキーワードが「煮物」で、いったいどのような嵐が吹いたのか、わからないでいる。
2005-10-27 23:17:45 |
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昨日、アクセス数が174件(延べアクセス数391件)となり、週間アクセス数が974件(延べ1716件)となり、始めてgooブログ1000位入りを果たした。928位であった。
アクセス解析をすると以下のようである。まず、昨日も一昨日に引き続き「出張料理人・孤野扶実子」の風が吹いたようである。2004年8月2日に記録した同ページへのアクセスは103件(以下の件数は述べ数)でもちろんトップ。関連項目へのアクセスもあった。昨日の「誰でもピカソ・出張料理人・孤野扶実子」へのアクセスが13件、両ページが含まれる「情報」カテゴリーが12件、投稿日の「2004年8月2日」が10件であった。合計すると138件で、昨日の延べアクセス数の三分の一ということになる。1000位入りも、すべて孤野扶実子様のおかげです。いや「誰ピカ」のおかげか。いや、もちろん何よりも、孤野扶実子のきわめて魅力のある人生と仕事というコンテンツが最重要であるわけである。
昨日も書いたのだが、テレビ(インターネット以外のメディアすべてを含めて)との連携がブログにとって重要であることがわかる。もちろん、インターネットでも、検索システムという大きな投網にかかるのがブログであることは言うまでもない。
いま、ダン・ギルモアの『ブログ』を読み始めたところで、そのうちコメントしたいが、ギルモアのいう誰でもジャーナリストの域にはまだ時間がかかるであろうが、ブログがこれまでにない、つまりは、一対多のブロードキャスト型のメディアでなく実にフレキシブルな関係(一対一、一対多、多対多、多対一など)をカバーしているところが真髄であると同時に、リアルタイムで他メディアとの間でのクロスオーバーを可能にするところが、真骨頂であるということであろう。
ブログ開始後約2年でその意味と役割がようやく見えてきた気がする。おもしろい。
2005-10-16 11:12:51 |
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昨夜、このブログの一日のアクセス者数が163(のべ332件)になった。一日で150を超えたのは初めてで、それこそ、世のアルファブロガーのブログとは違って、かわいいものであるが、なんでだろうと思った。最近、一週間平均のアクセス数が100を超えたと喜んでいたところだったのである。
アクセス解析をみてみると、2004年8月1日に記録した「出張料理人・孤野扶実子」がダントツ130(のべアクセス数)であった。セルフリンクで恐縮だが、以下のページである。
http://blog.goo.ne.jp/sig_s/e/38aa954e68508f9090e47eb717af679d
アクセス時間をみると22時から23時が162(のべアクセス数)である。この時間帯「誰でもピカソ」で孤野扶実子さんが出演していて、スタジオでその料理を披露していた。前回は「情熱大陸」でみた私自身が、ウェッブを検索しそのサイトを見つけようとしたのだが、今度は、逆の形になったという訳だ。
昨今、楽天のTBS株取得の際、三木谷社長が「テレビとインターネットの融合」に言及していたのだが、まさに、そうした風の一部が、わが「読書と夕食」にも吹いたということであろうか。
2005-10-15 09:40:34 |
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昨晩の夕食で食べた「こち」なのだが、コメントを書いてくれた「かぼプリ」さんの指摘により、マゴチかメゴチが気になったので、ちょっと図鑑(もちろん、ネット上)で見てみた。夕べかじったあの悪相のお面からすると、どうやら昨夜の「こち」さんはマゴチであるようだ。かぼちゃんはかわいいというかもしれないが・・・。
いつも行くスーパー(中部圏にありがちな「松阪屋ストア」。当然ながら、このチェーン店がどこでも好いわけではない)の魚コーナーの奥にいる職人さんが、けっこうこだわりの人なのか、ここのコーナーは、決して高級品ばかりとは言えないけれど、結構、何かと新鮮な魚介類がおいてある。もう一軒のスーパーと使い分けている。
昨日のこのコーナーには、どういう訳か「マゴチ」が大小転がっていて、そのうちの一番大きい40センチ大のものを購入し、筒切りして煮付けに使った。内蔵は職人さんによってすでにさばかれていた。「かぼプリ」さんの住んでいるところのように魚介類がいつも新鮮な場所とちがって、とれとれとはもちろん違う。刺身にでもしたくなるような新鮮さからは半日か一日過ぎたような感じではあったが、煮付けても身にぷりぷり感があってなかなかうまかった。
マゴチ:http://www.zukan-bouz.com/kasago/koti/koti.html
メゴチ:http://www.zukan-bouz.com/kasago/koti/megoti.html
2005-06-17 06:32:20 |
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繰り返して言うまでもないことかもしれないが、国家が担っている業務の外部委託のもつ意味が、単に経費節減ではなく、情報開示の裏側、すなわち、情報開示できないものは外部委託して開示すべき情報のリストから除外してしまうということが国家によってなされていることの事例が、以下のCIAによる拷問の外部委託にかんする報告に示されている。
以前、テッサ・モリス=スズキの『自由を耐え忍ぶ』の読後感として自分の無知を恥じたのだが、問題が至って複合的であることをいまいちど理解しておく必要があるようである。
情報開示→組織内部の透明性→開示したく内容について外部委託→知られざる不透明性の出現(単なる、「隠蔽」)。
企業などの組織の問題だけではなく、国家の問題として考えると・・・。
これは、心して考えておかねばならない。
ル・モンド・ディプロマティーク電子版(2005年4月号)『CIAによる拷問の外部委託』
本ブログによる『自由を耐え忍ぶ』(2005年1月21日)
2005-04-28 23:41:46 |
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2004-12-25 14:21:14 |
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2004-12-25 12:31:42 |
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ずいぶん前にシンガポールの屋台で粥を食べて、それ以後、中華風の粥を作ることにはまっていた時期がある。もちろん本格的なものかどうか解らないが、それらしく作るというものである。最も簡単なレシピは次のようなものだ。
1:米をとがずに大量の水とともに炊く(量は適当で、足りなくなってきたら湯を足せばよい)。このときに、ごま油をけっこう多めに垂らして一緒に炊くと香りがよい。その他、あり合わせで、鶏肉や豚肉、ホタテ貝柱など、出汁になるものと一緒に炊くのは好みである。わたしはどちらかというと、ホタテ貝柱にくわえて、せいぜいクコと松の実を加えたぐらいのシンプルなものが好みである。
2:トッピングになるものを用意する。ザーサイとショウガを千切りにしたもの、香菜、腐乳があればなお良い。
3:粥がごま油と混ざり合ってとろとろになってくる頃がよい。米の形がなくなるくらいになる方がそれらしいのだが、これは、米の種類にも関係している。
さて、米である。日本で通常売っている米で上記の粥を作ると、まさに、糊になってしまう。つまり、日本の米は日本式の粥を作ったり雑炊には良いのだが、つまりは、ほどほどの水の量と炊きあがりの時間は短めというのが決め手である。実のところ、中華風の粥を日本の米で作ろうと思うと、どうも、妥協が必要である。つまり、日本の粥のように米粒の形が残っているところで、あとは、ごま油などの風味と、トッピングでそれらしくするのである。これは、これで、実は美味しい。わたしもたいていは日本の米を使っている。
米が決め手だと思ったので、スーパーで見つけたのが、タイ米、香米(あるいは、ジャスミンライス)といったものである。これらで上記の粥を作るとさらさらのものができあがる。それなりにちかい。しかし、まだ違う。それで、とりあえず妥協したのは、日本の米と半量を混ぜて使うということである。これで、だいぶ近づいた。米の香り(日本人はいわゆる外米臭をきらうが、わたしは、悪くないと思う)もそれらしい。
2004-12-24 17:18:59 |
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2004-12-08 14:46:47 |
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ごらんのようにスキンをかえてみた。来月で一年。その直前にかえることもないのですが、コメントやトラックバックを頂いているのに、そのタイトルが見えにくかったので、シンプルカラーのものを選んでみた。それにしてもgoo blogのスキンのバリエーションは少ないな・・・。
2004-11-16 00:33:08 |
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オーストラリア料理は、この20年ほどの間にめざましく変化したといえる。
始めてオーストラリアに来た1984年頃は、交換レートが悪く(当時は1ドルが220円ほどであった)われわれは、宿にも食事にもあまりいいレベルのところに行くことができなかった。それでも、予算内のレストランを探すと、イタリアン、グリーク、レバニーズが多かった。頼りになったのは、そういう店であった。他のカテゴリーとしては、ステーキハウスとチャイニーズであった。
チャイニーズはシドニーのチャイナタウンをのぞいては、たいていの町にあるのはテイクアウェイだった。そのころ、大都市で頼りになったのがチャイニーズを中心とした「フードマーケット」である。当時、シンガポール航空を利用していた。これは、オーストラリアへの航空運賃がもっともやすかったからである。18万円くらいであったであろうか。今から思えば、まだまだ高いのだが、そのころ、カンタス航空で直行しようと思うと、40万円といわれた。これでは、我々の渡航費は片道運賃になってしまう。
その途中経由するシンガポールの街角で数多く見かけたのがオーストラリアでいう「フードマーケット」形式の食事文化だった。シンガポールは多民族都市で、各種中華料理やインド、マレーシア、インドネシアなどの小店が軒を並べ、われわれは好きなものを注文し、広場に並んだテーブルで食事をした。ビールが飲みたければ、飲み物専門の小店で買った。
オーストラリアにアジア系のレストランが増えたのは、80年代も最後の頃からだろうか。タイやベトナム、マレーシア、インド系のレストランが増えてきた。それに伴うように、オーストラリアンをうたうレストランも増えてくる。
90年代の半ばになって、今度は質が変わった。様々なハーブが大きなスーパーにおかれるようになったのもその頃である。
オーストラリアンという料理はそもそもなかったわけで、イギリスの伝統をひくとすれば、フィッシュ&チップスであった。また、家庭では一週間に一度は行われるというバーベキューをレストランにするとすれば、ステーキハウスであろうか。
90年代の半ばになって現れたオーストラリアンという料理は、オーストラリアという国家の多民族性の通りに、様々な料理、とりわけアジアのテーストを取り入れたいわば無籍料理のカテゴリーに入る料理であった。
また、最近では、アボリジニたちが食べていた「ブッシュフード」といわれるものがこのオーストラリアンでしばしば使われるという。肉の種類では、ワニとか、エミュー(ダチョウのように飛べない鳥)、カンガルーがそれである。それ以外に様々のベリーやナッツのたぐいである。シドニーの友人がつとめているのは大きな食材卸の店で、レストランに食材を卸しているらしい。彼女によるとこの「ブッシュフード」が最近のトレンドであるのだという。
オーストラリアのオーストラリアンという料理に注目しよう。
2004-09-01 21:49:21 |
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大陸縦断鉄道の「The Ghan」と天気のよくなった中央砂漠の様子をアップしておいたので、そちらも見て欲しい。
旅の写真はこちら
2004-08-30 19:59:54 |
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