愛知県立美術館「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」
友人のKSが招待券を送ってくれたので今日、行ってみた。
率直な感想としては、ポロックの絵画史としては、初期はシケイロス、ホアン・ミロの影響をうけて、パブロ・ピカソとの葛藤に明けくれるようにみえる。唯一、ポーリングやドロッピングなどといった新しい手法の中で、抽象絵画のエポックを築いたというのがポロックの人生だろう。46歳の死というのはいささか突然で、何があったかと思ったが、晩年は描けていなかったらしい。
門外漢が言うのもおこがましいが、ほんの数点をのぞき、ポーリング/ドリッピングの偶然性を加味した描法は興味深いのだが、ピカソを果たして超えることが出来たのか。計算され尽くしたピカソらしさを考えると、ポロックのそれは、意識した描き方であったのか。
ほんの数点というのは、ホラーバキュイのように空間を色彩で埋め尽くすような描法ではなく、黒色でポーリングやドロッピングをしているまるで前衛書道を見るような描き方は大変興味深い。前衛書道とポロックの関係は明らかではないらしいが、それはそうとしても、逆にポロックのオリジナリティを考えてみれば、どうだったのだろうか。
私としては、かれの精神科医へのカウンセリングのための彼の心象風景を移したようなスケッチとか、アメリカ先住民のモチーフととった、あるいは、シケイロスを意識した作品の方が、興味深いのだが。べつに、かれは、ヨーロッパの抽象表現にむかう必要はなかったのではないのか。むしろ、そのことにとらわれてしまったポロックにことを思うと、かれの46歳で失われた命の回帰が、もし、再び先住民表象との連関にむかったとしたら、とあり得ない命を考えてしまう。
いずれにしても、刺激的な美術展であった。地下街から県立美術館にむかう人の流れがあって、これがポロック展にむかうのであれば、これは、まいったと思ったが。幸か不幸かそうではなかった。比較的じっくりとほかの鑑賞者との距離を持ちつつ鑑賞することが出来た。これはよかった?悪かった?
率直な感想としては、ポロックの絵画史としては、初期はシケイロス、ホアン・ミロの影響をうけて、パブロ・ピカソとの葛藤に明けくれるようにみえる。唯一、ポーリングやドロッピングなどといった新しい手法の中で、抽象絵画のエポックを築いたというのがポロックの人生だろう。46歳の死というのはいささか突然で、何があったかと思ったが、晩年は描けていなかったらしい。
門外漢が言うのもおこがましいが、ほんの数点をのぞき、ポーリング/ドリッピングの偶然性を加味した描法は興味深いのだが、ピカソを果たして超えることが出来たのか。計算され尽くしたピカソらしさを考えると、ポロックのそれは、意識した描き方であったのか。
ほんの数点というのは、ホラーバキュイのように空間を色彩で埋め尽くすような描法ではなく、黒色でポーリングやドロッピングをしているまるで前衛書道を見るような描き方は大変興味深い。前衛書道とポロックの関係は明らかではないらしいが、それはそうとしても、逆にポロックのオリジナリティを考えてみれば、どうだったのだろうか。
私としては、かれの精神科医へのカウンセリングのための彼の心象風景を移したようなスケッチとか、アメリカ先住民のモチーフととった、あるいは、シケイロスを意識した作品の方が、興味深いのだが。べつに、かれは、ヨーロッパの抽象表現にむかう必要はなかったのではないのか。むしろ、そのことにとらわれてしまったポロックにことを思うと、かれの46歳で失われた命の回帰が、もし、再び先住民表象との連関にむかったとしたら、とあり得ない命を考えてしまう。
いずれにしても、刺激的な美術展であった。地下街から県立美術館にむかう人の流れがあって、これがポロック展にむかうのであれば、これは、まいったと思ったが。幸か不幸かそうではなかった。比較的じっくりとほかの鑑賞者との距離を持ちつつ鑑賞することが出来た。これはよかった?悪かった?