South Is. Alps
South Is. Alps
Coromandel
Coromandel, NZ
Square Kauri
Square Kauri, NZ
Lake Griffin
Lake Griffin


『暗号解読(上)(下)』

サイモン・シン、2001、『暗号解読(上)(下)』、新潮文庫

年末年始のシンガポール旅行を挟んで昨夜読み上げた。

本書が書かれた時代以上に、インターネットの普及した現在、ますます、暗号作成/暗号解読の意味は大きくなっていることは言うまでもないだろう。ウィキリークスの活動に始まり、スノーデン氏による国家安全保障局(NSA)のインターネット盗聴疑惑は国家間あるいは国家首脳間の盗聴問題にとどまらず、一般人民の知る権利や個人情報あるいはプライバシーとも関連する自体であることはこれまた人口に膾炙する自体といえるだろう。暗号作成/暗号解読は国家の軍事的な重要事項/極秘事項であるにとどまらず、現代社会においては、個人が自衛すべき重要事項でもあるといえるだろう。

本書は、古代ギリシャの対ペルシャの軍事暗号に始まり、カエサル暗号や第二次大戦のドイツ軍のエニグマの秘密、更に現代のインターネットの時代にも通じるRSA暗号、PGP暗号、量子暗号にまで網羅する。また、暗号解読の問題は古代の未知の言語の解読や民族言語の読解にも通じる、人類の言語活動にとって重要な事柄でもあることを理解させてくれるというのが本書の重要なところだろう。

巻末には、もうすでに、解読されたとのことではあるが、著者の読者に対する10の暗号による挑戦が添付され、また、本書の訳者による改題を兼ねた、役者らの著者への挑戦の一端も記されていて興味深い。


暗号解読〈上〉 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社
暗号解読 下巻 (新潮文庫 シ 37-3)
クリエーター情報なし
新潮社

2014-01-06 23:29:40 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『宇宙創成(上)(下)』

サイモン・シン、2006、『宇宙創成(上)(下)』、新潮文庫

『ビッグバン宇宙論』を改題(原題でもある)した宇宙創世というタイトルのほうが、ずっと本書の精神を伝えているように思う。というのは、歴史的にそして、自然科学的に人類がどのように宇宙を認識しようとして、宇宙像を作り出してきたかの物語であるからだ。もちろん、現在のビッグバン理論からなる現代の宇宙論が到達点なのであるが、自然科学の性質上、観察結果を理論化する事によって観察結果をより良く理解するということであるので、将来において、また新たな理論が誕生しないというわけではなく、常に宇宙が創生される、別の言い方からすると宇宙論が創生されることになるというわけだ。

本書は読者のベッドサイドの友であったが、すぐに眠りにつくこともなくはなかったものの、不本意ながら本書を置くことができずに寝不足になったことが一度ならずあったことを書き記しておきたい。また、宇宙の夢を見たこともあった。

12月中旬に読み上げていたのだが、記録を漏らしたので、この日付で記録しておくことにしたい。


宇宙創成〈上〉 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社
宇宙創成〈下〉 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社

2014-01-06 23:18:29 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


オニオングラタンスープ風煮込みパスタ、豚ロースステーキ、シーザーサラダ

オニオングラタンスープ風煮込みパスタ(薄切りタマネギ、ベーコンをバターできつね色になるまで炒めるえのき茸と赤唐辛子を加えて炒める。水を加えて沸騰したところで塩を加えて、リンギーネパスタをくわえて、所定の時間加熱。黒胡椒をかけてしあげにおろしたパルメジャーノをかけて出来上がり)
豚ロースステーキ(両面を塩胡椒。オリーブオイルでしっかり焼く)
シーザーサラダ(エメンタール、グリエール、パルメジャーノ、タマネギとケーパのみじん切り、アンチョビーペースト、ホワイトビネガー、フレッシュオリーブオイル、塩胡椒。江南の畑から来たローメインレタス)

2014-01-06 21:44:11 | 夕食・自宅 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


映画「謝罪の王様」

シンガポールからの帰路、シンガポール香港間で楽しんだ。

宮藤官九郎、阿部サダヲの組み合わせの映画を見るのは、『舞妓 Haaaan!!!』以来(2007年8月27日に記録している)。喜劇を機中で見るのは、笑い声が漏れてしまうので、結構気恥ずかしい(しっとり涙を流すのは、たいがい機中が暗いときに見るから平気だけれど)。

主人公黒島は東京謝罪センターの所長。センター所在地は喫茶店。ストーリーはケース1から始まるオムニバス形式をとっているのだが、登場人物がどんどん重なり合っている。土下座を超える謝罪は「脇毛ぼーぼー自由の女神」というフレーズ。これは、ストーリーの最後に登場するマンタン王国のケースで、日本国首相も、現地に行ってパフォーマンスする。何しろ、マンタン王国の土下座は最大の相手に対する蔑視を意味する。これを超えるのが先のフレーズである。もちろん、漢字仮名まじりで書いてしまってはだめで「カタカナ」標記すべき(マンタン語なのだから)である。

エンドロールが始まる前のエンドムービーが見物。インド映画の大団円が歌って踊ってシャンシャンシャン、みたいな風に見たが、映画は、ストーリーが終わったと言って席を立つ人が多いが、ひょっとして、肝心要を見損なった人もいるのではないか。

昨今、何かと謝罪が話題だ。ホテル業界の食品偽装疑惑では、各社が連発した。謝罪すればいいんでしょ、としか見えないのだが。また、マスコミは土下座まで強要しているようにも見える。真の意味で問題解決がなされているのかどうか、じっくりと見据えることが、マスコミ報道の責任というべきものだと思うのだが。

公式ページ:http://www.king-of-gomennasai.com/index.html

2014-01-06 11:49:36 | 映画/TV/DVD | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


シンガポール美術館・博物館訪問記

日経新聞の12月28日付けの文化欄に「シンガポール、アジアのアート拠点へ:有力ギャラリー誘致/美術館新設 経済の次は文化立国」という記事が掲載されていたことは旧聞に属することだが、年末年始にシンガポールに滞在していたので、あわせて、博物館美術館を訪ねたのでメモとして記録しておこう。

シンガポールは成功した開発独裁国家としての経済発展は著しく、また金融や物流、観光のハブとしてのアジアにおける位置づけはよく知られている。東京23区規模の面積(700平方キロ)に人口は約500万人(23区は人口900万人)とあって、高層ビルが林立する都心だけでなく、郊外住宅地も高層住宅が建てられている。結果として、空間の多くは緑濃い熱帯降雨林がそのまま広がっている。市街地でも街路樹や公園の緑が豊かである。年末年始だからか、繁華街やショッピングセンターは大いににぎわっていて、観光客はむしろ目立たなかった。ここで記録する博物館/美術館でも、観光客よりも地元の人が多かったような気がする。

さて、一番最初、28日に出かけたのは、Singapore Art Museumである。Biennale2013が開催中とは知らずに飛び込んだのだが、とりわけ、東南アジア諸国のアーティストたちの作品がたくさん集められていて、興味深かった。展示室ごとにボランティアガイドさんがいて、とにかく説明しようとしてくれる。もともと、現代アートは、理屈では見たものが感じることができれば何でもアートということではあるが、説明があった方が見る助けになることは確かだが。しかし、訛の強い英語を聞き取るのは忍耐を必要とした。特に興味深かったのはベトナムのアーティストの作品で、古い建物をリノベートして作られた美術館の「チャペル」に単独出品されていた大きなオブジェで、トンネル上になっている。ガイドさんの説明によると、若い作家がアメリカに行ってベトナム戦争をみいだし、同時に伝統的な漆芸のテクニックを使って作り出したアイデンティティ発見のタイムトンネルのようなもの、だそうだ。アメリカ体験とアイデンティティの発見が漆芸で結びついていて興味深かった。この館で、Trienaleにからんで、National Museum とPeranakan Museumとの3館共通券を一館分の料金で販売していたので購入できて、ラッキーとおもったが、もっとも、National Museum へは元旦に行ったので、祝日は無料といわれて、券は2館分しかを使わなかった。ちなみに、元旦は一日だけ祝日で、翌2日はオフィス街は機能していた。

午後、宿泊していたホテルが所有する絵画を紹介するツアーがあるというので参加してみた。確かに1階に小さなギャラリーがある。そのお姉さんが館内の彫刻や絵画を選んで案内してくれた。シャガールだけはプレジデンシャル・スーツにあるとやらで、見ることはできなかったが、ピカソの単彩シリーズが10枚、バーの壁に飾ってあったりするのは、たいしたものだ。

30日には、Prenakan Museumにいった。Prenakanプラナカンとは、マラッカ海峡両岸地方に居住するようになった中華系住民をさし、シンガポールではエリート層をなすと言われる。2日にたずねたサマセット駅近くのプラナカン街は、プラナカンたちの邸宅が今も名残をのこしつつ一角をなしている。この博物館ではプラナカンの歴史と生活と文化を展示していて、興味深かった。また2階の一室にはBienaleの作品が展示されていた。

元旦には、National Museum of Singaporeにいった。祝日は博物館美術館は無料開放とのことであった。ここでは、いくつもの展覧会が平行して開催されていて、そのひとつは常設展のシンガポールのエンタテインメントとファッションのれきしについてのものだった。とりわけ面白く見たのは、"A Changed World: Singapore Art 1950s - 1970s"という絵画展で、シンガポールがマレーシアから独立して国家を建設していく家庭の中でシンガポール人の画家の作品の変化について、時系列をおって展示されたものである。たとえば、伝統的な中国の様式化された南画が風景画にかわっていくような。考えたのだが、日本の明治時代の絵画と比べるかもしくは、この絵画展と同じ時代の日本の絵画の展開を比較研究するのも面白いとおもった。なんなら、東南アジアから東アジアも含めて比較できればおもしろい。

2日には、ラッフルズプレースにあるAsian Civilizations Museumに最初に行った。"Beginning of the Becoming: Batak Sculpture from Northern Sumatra"という特別展があり、また、アジア各地を比較して展示する常設展を見た。決して大規模な博物館ではないが、古い建物をリノベートして活用しているのはどの博物館とも共通である(国立博物館は、モダンな新館が併設されていたが)。隣接するArt Houseにいった。ここは、展示が終了してなにもなかったが、創設期のシンガポール議会の建物だそうである。その後、Gillman Barracksに行った。元は軍の駐屯地だったようだが、小規模な建物がそのままかつようされて、15のギャラリーが集まっている。残念ながら、とくに、日本系のギャラリーが冬休みで開いていたギャラリーは数カ所しかなかった。

このあと、サマセット駅近くのプラナカン街にいった。町並みが保存されつつも、そこでの生活があるようすが伺える。内部を見ることができないのが残念なところである。ところで、私はシンガポールを訪問するのはそれこそ30年ぶりぐらいのものであった。当時は、仕事でオーストラリアを往復するのにシンガポール航空をつかっていて、前後にストップオーバーして何泊か何回か滞在したことがある。その当時、チャイナタウンを訪ねたときも、来年来たらここはこわされてビルが建ち始めるという話を聞いた覚えがある。きいてみたら、ちょうどその頃から、建築物についての保全運動が進んで、結果として、チャイナタウンやアラブ人街、インド人街がそのまま残ることになったのだそうだ。博物館のような由緒のある建物は政治的なモニュメントとしての意義があるものについては、のこされるのだろうが、古い建物を残していくというのは好ましいことだと言えよう。しかし、もちろん、それでは小さい島に大きな人口は収容できないから高層ビルを建てて人々はすむことになる。今回、郊外の町には行かなかったが、中心部が古い町並みが保全されているのに対し、どうなのだろうか。

何れにしても、シンガポールにはまた行ってみたい。


2014-01-06 09:50:52 | 博物館/美術館など | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )