South Is. Alps
South Is. Alps
Coromandel
Coromandel, NZ
Square Kauri
Square Kauri, NZ
Lake Griffin
Lake Griffin


豚ロース肉生姜焼き、小松菜の胡麻和え、白菜浅漬+自家製塩麹、麦ごはん

豚ロース肉生姜焼き:予め見本酒+おろしショウガでマリネしておいてから、タマネギの薄めのくし切りとともにじっくりと炒める
小松菜の胡麻和え
白菜浅漬+自家製塩麹:最近、ナンチャッテで日を置かず作っている白菜の浅漬(ざっくり切って、塩もみして、数日室温で置いたあと、パックの空気を抜いて冷蔵庫に)、まだ日が浅いので塩麹をしょうしょうくわえて
麦ごはん

2021-04-25 21:41:30 | 夕食・自宅 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『環境再興史:よみがえる日本の自然 (角川新書)(電子書籍)』

 
わたしは、1951年の生まれなので、日本経済の戦後の最初の飛躍のきっかけとなった朝鮮戦争のさなかに生まれた。その後、高度経済成長の時代だった。私の家は、そうした経済成長とともに、家を修繕し、改築していった。両親が、共稼ぎで、なにかの特別手当が出たといっては、大工を呼んでは小さな工事、たとえば、窓をあけるとか、台所の土間をなくすとか、風呂場を修繕する、更には庭先に増築して洋間をつくり、あげくには、総2階の家にした。この変化が、私の中学2年までの変化である。

生まれ育ったのは、旧・布施市(現・東大阪市)で、大学時代までそこに過ごした。最初に住んでいた場所ではほんの数分歩くと畑や田んぼが広がっていて、子供の頃の遊び場は、自動車の通る表の道から入った住宅地の道や田畑だった。近所の友達たちと、それこそ、日暮れまで遊び回っていた。それが、中学をでるころ(その頃、まちなかに引っ越しをした)には、見渡す田畑だったところが区画整理されて町工場に次々と変わっていった。大学院に入って教育実習で母校の中学校で2週間をすごしたが、田畑の中にあった中学はまったく工場地帯の中に位置していた。

工場の排ガスや粉塵などの公害(スモッグ)、さらには、光化学スモッグも話題になっていた。大阪圏の水は淀川で取水されるが、消毒のためにカルキ臭く、水道管からの水は飲めたものではなかった。私の大学時代に両親は奈良市に別宅を買い求め、週末にそこで過ごした。水が美味しい、空気が美味しいと。当時は、近鉄の駅から15分も歩いてたどり着いていた。妹と私はいつも、同行することはなかったが、それでも、近鉄に乗って生駒トンネルを超えると、気温が下がり、空気がきれいであることがわかった。帰路、トンネルを抜けて大阪平野に向けておりていくと、大阪平野はどんよりとしたスモッグが沈殿しているように見えた。また、あのスモッグの中に帰っていくのかと。

両親は、たまたま、奈良の別宅の隣家が売りに出ていることを知って、東大阪の家を売って、隣家を手に入れることにし、一家をあげて引っ越しをした。両親の職場への通勤や私達兄妹の大学への通学はダントツに遠くなったが、しかし、両親は駅からの15分が遠いとブツブツこぼしたものの、幸せな決断のようであった。長々と私事を書いたが、本書で取り上げられる、日本の環境汚染やその後の回復の時期がまさに、私の生まれてから今までの時間に相当するからだ。

本書は、以下のような構成になっていて、第1章と第2章は、環境汚染や環境破壊から立ち直ってきた過程が描かれている、しかし、実は、本書を読みすすめるうち、あまりにもハッピーな変貌ぶりに思えて、著者の意図がよく見えなくなってきた。あとがきを先に読めばよかったとあとで思った。環境保護運動の盛り上がりが、環境の回復に大きく貢献した事がわかるのだが、本書の第3章を読むうち、結局は、環境が大きく改善したのは、公害垂れ流し型の重厚長大型産業から軽薄短小型産業へと日本の産業構造が大きく変わったからであって、環境保護運動の貢献はもちろん大きいものの、日本政府の構造的課題、公共事業重視や官僚の無策ぶりは変わらないということも触れられて、「なあんだ、そうだったんだ」との思いにいたった。

そういえば、昨年来のコロナ騒ぎもまた、相変わらずの産業重視、医療行政の無策が蔓延に輪をかけているとしかおもえない。病床の全体数と重篤患者用の病床や施設、さらには、患者受入の病院の数の少なさ、こういったものは、普段から完成症対策をないがしろに指定宝に違いない。さらには、東京オリンピックは1年延期されたが、COVID-19の蔓延が続き、収束への展望が見えない中、選手の医療体制のために医療関係者に動員をかけることが、報道されるといったありさまだ。また、ワクチンの接種についても、地方行政と国との役割分担が明確ではなく、混乱が生じているようだ。こうした状況は、本書で触れられた公害と環境保護をめぐる流れと、根っこは同じに見えてくる。

あとがきの中で著者は「普通の国」となった日本の混乱ぶりをとりあげていて、まさに、そのとおりと思う。少子高齢化の中で第一次産業のIT化も重要課題であるはずだが、おそらく、立ち遅れている。かつて、IT大国をめざしたはずの日本が、「Cocoa」導入ではミソをつけ、ワクチン接種の管理でもまた混乱している。IT大国構想は一体どこにいったのだろう。フクシマの汚染水の海洋投棄もまた、これまでの無策の累積結果の一つだろう。一方、三陸地方の復興は公共事業による土建会社だけが活況であるようだ。読みすすめる中で、日本社会の問題点がいろいろ目について、くりかえし、ため息がでた。

まえがき
第1章 鳥たちが戻ってきた
1 千羽鶴になったタンチョウ
2 孤島で全滅を免れたアホウドリ
3 大空を舞うガンの群れ
4 野生に戻ったトキ
第2章 きれいになった水と大気
1 数字で見る環境改善
2 回復に向かう東京湾
3 多摩川にアユが踊る
4 川崎に青空が戻った
5 ブナの森が残った
第3章 どこへ行く日本の環境
1 日本人の生命観の変化
2 何が環境を変えたのか
3 環境を救ったものは
4 環境保護の将来
あとがき

2021-04-25 15:24:02 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )