いただいた松茸がもう一本あったので、今日はすき焼きにつかう。
すき焼き(濃口醤油、日本酒、砂糖で割り下をつくっておく。白葱を筒切りにして鍋に並べる。周りに大根拍子木切りをおく。ビールを割り下を加えて、加熱、わいてきたところで、すき焼き用肉を上に広げ、火が通ったところで、溶き卵にくぐらせ食する。ほかの具は、春菊、糸コン、木綿豆腐、もちろん、松茸。煮詰まるほどに味が濃くなり、残念ながら、仕上げのうどんにまではいたらなかったが・・・)
江南のおばあちゃんが松茸を送ってくれたので、今日は松茸をメインにして。
松茸ご飯(炊飯の水の量は、米だけの場合と同一。日本酒と薄口醤油を少々加えて、松茸を加えて炊く)
松茸とヒラメの吸い物(昆布だしをとって、わかし、日本酒と薄口醤油で味付けする。三つ葉をさっと塩ゆでして水にさらし、水分をしぼって、お椀に入れておく。出汁に松茸、銀杏を入れて一煮立ち。ヒラメ薄切りを泳がして白く色が変わったところで、お椀にうつす)
ほうれん草おしたし(鰹節と濃口醤油で)
牡蠣のオリーブオイル煮(牡蠣を振り洗いしたあと、塩胡椒してひたひたのEVオリーブオイルでじっくり加熱、火が通ったところで薄口醤油を少々加えて供する)
自家製ジェノベーゼソースのパスタ(江南の畑から届いた、バジルとルッコラ、これが痛む前に、ジェノベーゼソースをつくった。フードプロセッサーに、バジル、ルッコラ、松の実、胡桃、パルメジャーノチーズをくわえて粉砕。EVオリーブオイルを加えてペースト状にする。これは、空き瓶につめて、表面をEVオリーブオイルを覆って、保存しておき、今日は、その一部をつかう。リンギーネをアルデンテに茹でて、ジェノベーゼソースをからめて供する)
キャベツと豚スペアリブのシチュー(前夜に仕込んでいたのだが、深鍋で豚スペアリブをオリーブオイルで表面に軽く焦げ目を付ける。赤唐辛子、ローリエを加え、キャベツのざく切りを加える。水を加えて、塩と黒粒こしょう、クミンシードホールをくわえて、煮込む)
赤かぶの洋風酢の物(江南の畑からの赤かぶ。残念ながら、とうがたっていたのだが、塩揉みして洋風ドレッシングをかけて食した)
同僚二人をご招待。
サツマイモのポタージュ(サツマイモの皮を剥いて小さく切り、チキンブイヨンで湯がく。ローリエを入れておく。柔らかくなったところでフードプロセッサーに入れて、ピューレ状にする。のこったブイヨンに戻して牛乳を加え、塩こしょうで味を整える。スープ皿に注ぎ、ネギを散らす)
バゲットとサラダ(メゾン・カイザーのバゲットとキュルノンチュエのベーコン、セルバチコ、トマト、ウォッシュタイプのチーズ)
小松菜のパスタ(小松菜を茎と葉に切り分ける。葉の部分をざく切りにして水とともにフードプロセッサーにかけて粉砕。水とともに加熱して一煮立ちしたところで葉をすくいとり、水を切る。茎の部分を細かく切ってフライパンでから煎りする。からっとしたところでEVオリーブオイル少々をかけておく。豆乳をわかして小松菜の葉を加え、塩こしょうで味付け、生リンギーネパスタをゆでてこれにあえる。小松菜の茎を振りかけて供する。これは、Danchuの宣伝ページのレシピ)
スズキのムニエル(スズキの切り身を塩胡椒しておく。小麦粉をかけて、EVオリーブオイルで皮目から焦げ目をつける。じっくりと火を通す。バターを入れて、バターの泡をかけながら、火を通す)
お持たせのデザート(ドゥリエールのロールケーキとジェラート)
今日は日中仕事で職場にいったのだが、夕方からは、叔母の通夜で大阪に行った。仕事場からなかなかぬけだすことができずに、遅れていった。近い親類ばかりの集まりで、通夜が終わってからしばらく、近況を報告しあった。
帰路、京都から名古屋の間に駅弁の「大阪寿司」とビール。駅弁だからか、結構酢がきいているし、また、ご飯粒がしっかりと押されていて、腹にずっしり。
今夜は「新甫」のうなぎ。
まぶし、長焼き、うざく、肝焼き、刺身、もずく酢の物。
8時が店じまい(オーダーストップ)なのに、引きもきらないという感じで客が入ってくる。また、注文した品の出てくるのも素早い。もちろん、からりとした焼き具合が何とも美味しい。
ハンバーグ(合い挽きミンチ、タマネギみじん切り、パン粉、卵、塩胡椒、ミックスハーブ、ガーリックパウダー、カレー粉少々をよく混ぜて粘りを出しておく。フライパンにオリーブオイルを加えて、焼く。無塩バーターをくわえて、香りをつける。アスパラガスの皮をむいてともに焼く。トマトを添えて供する)
バジルとルッコラのサラダ(江南の畑のバジルとトマト。EVオリーブオイル、塩胡椒、ミックスハーブ、バルサミコ酢のドレッシング)
先日実家に帰ったとき、銀杏をもらってきた。この銀杏は、実家が東大阪から奈良に引っ越したときに、奈良市が配っていた苗木を家の前の道路脇に植えたものだ。たまたま、雌雄がそろっていて、たくさん実をつけるようになり、今では、大木になっている。何しろ、35年も前も昔の話だ。最近では、近所の何軒かで収穫しているらしい。
また、一昨日は、江南のおばあちゃんの畑から野菜が届いた。今日は、大根一本とほうれん草の摘み菜をつかった。
銀杏ご飯(前夜に、殻を外して、ゆがいて薄皮を剥いておいた。通常の水加減で、日本酒少々と塩少々を加えて、銀杏を加えて炊き上げた)
大根と手羽中の煮物(大根を一口に切って、手羽中、出汁昆布、日本酒、薄口醤油、赤唐辛子に水を加えて、煮込んだ)
がんもどきの煮物(出汁昆布と鰹節で出汁をとる。日本酒と薄口醤油を加えて、がんもどきを煮る)
大根葉のきんぴら(大根葉を細かく小口切りして、フライパンにごま油、赤唐辛子小口切りとともに炒める。日本酒、濃口醤油を加えて水分を飛ばしながら炒める。仕上げに、胡麻をちらす)
ほうれん草のおしたし(ほうれん草を茹でて、鰹節をかけ、濃口醤油でしょくす)
アサリの貝汁(柚子胡椒風味で)
十年ぐらい前うちに遊びにきたノンちゃんが作っていったパスタを「ノンちゃんパスタ」とよんでいる。
ノンちゃんパスタ(タマネギ粗みじん、ナスのさいの目、赤黄ピーマンのさいの目、種無しオリーブの荒みじん、その他、今日は用意できなかったが、ズッキーニや茸も同様に切っておく。ニンニク粗みじん、赤唐辛子小口切りをEVオリーブオイルで炒め香りを出して、野菜を炒める。白ワイン。ミックスハーブ、胡椒、パスタゆで汁で味を整える。リンギーネをアルデンテにゆでて絡める)
タンドレスのバゲットとウォッシュ・チーズ
今日は久しぶりにラーブを作ろうと思ったが、材料が思うようにならなかった。とはいえ、まあ、こんなものかと。
とりもも肉のラーブ(レモングラスを細かく刻んでおく。ニンニクを荒みじんに切っておく。フライパンにサラダオイルを入れて、レモングラス、ニンニク、赤唐辛子小口切りを炒める。弱火にして、じっくりを皮付きもも肉ぶつ切りを炒める。紹興酒が切れていて、日本酒を加える。ナンプラーを加えて味を整える。一煮立ち。あらかじめ用意していた、ルッコラ、レモンバウム、生タマネギにフライパンの中身をあけてよくあえる。大皿にキャベツざく切りをしいておいて、ここにのせる)
岡田 英弘、2008、『日本史の誕生』、筑摩書房 (ちくま文庫 お 30-2)
本書の第13章「歴史の見方について」から抜き書きしてみよう。
* 歴史は、我々の意識の中だけに存在する、世界の見方、ものの見方の体系である。しかも、歴史という角度から世界をみ、物事をみるというやり方は、人類すべてに普遍的なやり方ではなくある種の文明にだけみられる、特殊な文化である。
* 歴史とは、『人間の住む世界の、時間軸と空間軸の両方にそった、しかも一個人の直接、経験できる範囲を超えた、言葉による説明』である。
* 記録に残る歴史的事実は、記録者の主観を通して形を与えられたものばかりである。
* 歴史は、天然自然に初めから存在するものではなく、歴史家が書いて作り出すものである。
* 歴史には、よい歴史と悪い歴史とがある。よい歴史は、論理の筋がすみずみまで通った、どこにも破綻や矛盾のない説明である。よい歴史を書くには、まず資料の一つ一つがどういう環境で、どういう立場で、どういう意図を持って書かれたかを見極めて、その奥にある、記録者の主観が働く前の情報の原形を読み取らなければならない。こうして読み取った情報を総合して、歴史家がその場に居合わせたとしたら、物事はこう見えただろうと決める。
* 古代も現代も人間の世である以上、現代にあり得ないことは古代にもありそうもないという原則に頼って判断するしかない。いくら古代だといっても、神話の神々の時代でもなければ、おとぎ話の魔法の世界でもなかったはずである。
* 資料から引き出せる情報の量には限度がある。情報の欠落している部分は、合理的な判断で補うしかない。
* 論理に矛盾を来さずにつく説明がよい説明であり、そうしたよい説明を、俗に『歴史的事実』と呼ぶのである。そうした歴史的事実を、時間軸と空間軸にそって並べて、因果関係でつなげてまとめて、作り上げた世界の全体像を言葉で語る。それが歴史である。
中学か高校の頃、何を思ったか、漢文のできない息子を見かねてか、母親が『魏志倭人伝』を一緒に読もうといった。歴史が好きな息子にあわせたものだろう。しかし、残念ながら、この試みは続かなかった。単に読むだけでなく、ほかに疑問が広がったのである。読みよりも何よりもはなしが脱線して、漢文の勉強にもならなかった。今となっては、いい思い出ではある。当時よりすこしまえ、松本清張やら古田敦、高木彬光やら、邪馬台国がどこにあったかで小説やら歴史書やらをだし、邪馬台国ブームではあった。
また、自分の歴史好きは、子供の頃に与えられた全巻何巻だったのか、相当な冊数の「日本の歴史」の本を与えられ、歴史好きになったのだが、今思えば、日本書紀や古事記の物語がそのまま、歴史的事実として書かれているような本だったような記憶がある。親が選択したのかどうか、戦後15年ほどした頃であったから、当時の唯物史観とはかけ離れた歴史を読まされていたわけだ。しかし、その一方、ルイセンコ学説も主要な章として取り上げられている、少年少女ノンフィクション全集(だとおもう)もまた与えられて読んでいて、ファンになっていたのだから、いまかんがえると、よくわからない趣向ではあったようだ。
ともかく、しばらくぶりに邪馬台国関連の本書を読んで、ちょっとすっきりした。もちろん、それが主題ではない。本書は、日本はいつ始まったか、つまりは、日本史はいつ始まったのかということが主眼に書かれている。天智天皇が「日本天皇」として即位したことが日本の起原であるという。それ以前の天皇については、古くは単に創作の人物であり、日本が中国(この名前を使うことは、望ましくないかもしれないが、慣用的にこのように書いておく)とは無関係の独自性を強調するために作り上げられたという。逆に、このことは、中国の存在がきわめて大きかったことを意味していて、天智の「日本天皇」としての即位は、白村江の敗戦によって、孤立した状況に追いつめられた列島の各政治勢力の対中国についての政治意識の現れである。当然、列島の人々や様々な事物は、大陸とは無関係ではあり得ない。邪馬台国を記す「魏志倭人伝」に名を残すいくつかの倭国の国々は華僑の築いた交易地であったというのが、本書の日本史の前史の主たるモチーフである。
さらに、日本で書かれた日本史は、反中国、つまりは、中国を過剰に意識しなければ自己のアイデンティティを確立し得なかった周辺国の反動として、成立したというのである。近代以降の様々な局面に登場する中国を蔑視し、貶めようという言説は、まさに、こうした伝統の中にある。昨今の航空幕僚長の論文もまた、そうしたシナリオに従ったものであろう。おそらくは、麻生総理もまた、立場上明かしてはいないが、かれもまた、同様の論者であることは想像に難くない。実際、航空幕僚長の罷免に関してのインタビューで、そうした内容の発言があったと聞く。
東アジアにおける4000年以上の歴史は、よくも悪くも「中国」の鏡映であったといえるだろう。その意味で、もう少し、理性的に中国と日本、いや、東アジアにおける日本を、さらには、世界史の中の日本を理性的に考えた歴史観を構築しなければならないのではないか。本書を読んで、痛感した次第。
2008-11-10 22:22:18 |
読書 |
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一昨日のカレー鍋の残りを残しておいた。稲庭うどんをゆでてざるにとって水で洗ってぬめりをとり、その上に、カレー鍋の残り汁を加熱して加える。
コールスロー(キャベツを細かなざく切り、ニンジン、キュウリを薄切り西て塩揉みにして出てきた水を絞り、水で塩分を流してまたしぼる。つくり置きの頂き物のドレッシング用の酢とオリーブオイルを加え、よくあえる。プチトマトを半分に切ってのせる)
夕方から映画を見に行ったので、夕食を映画館の一階下のレストランフロアでとった。
Isola(イゾラ)というイタリアンで、入ってすぐどこかでみたようなスペルのようで、もし、英語読みでアイソラと読むとしたら何か聞き覚えのある名前だと思ったのだけれど、べつに、ここの店とは関係がないだろうが、エド・マクベインの87分署シリーズの舞台となる町が「アイソラ」だ。ニューヨークとおぼしき町なのだが、それはそれとして。
カプレーゼ(トマトとモッツァレーラ)、焼き野菜のサラダ、地鶏の煮込み入りのマルゲリータ、トマトとウニのパスタ、アクアパッツァ
決して悪かないが、とびきりという訳ではない。値段相応ということかな。
名古屋ミッドランド:イゾラ:http://www.isola.st/nagoya/index.html
18時過ぎからの映画を見てきた。小説の方は読んだのだが、映画の方が面白かった。小説の読後感は、長過ぎる(短編にした方がよい)だったが。
ガリレオ探偵こと湯川は、石神との友情を裏切り、真実を選んだ。終幕で、石神は、彼の描いた通りのシナリオで、隣人で心慕う花岡靖子母子の罪をかぶって窮地を救おうとした。しかし、母子を救うために、石神はホームレスを利用してアリバイ工作をし、さらに身代わり殺人の死体として使った。ホームレスという他者との関係を絶った人物を使って二人目の殺人によって、一人の殺人(靖子が犯した)の隠蔽をはかったのだ。湯川は、第二の殺人も含めて、真実(湯川の仮説)を靖子に伝え、彼女自身にも自首をする材料を与える。
湯川は、彼の仮説を刑事草薙や内海に伝えずに友人である石神のシナリオの片棒を担ぐことはできたのだが、かれは、むしろ、真実を伝えることをえらぶ。靖子に石神の「献身」を伝えることによって、両者が罪を償った後の余韻を残すべく、真実を明らかにすることを選んだのだ。
小説より、映画の方が面白かったと思った。また、テレビの探偵ガリレオシリーズよりも、シリアスな側面が多く。映像化という点でもテレビより、映画の方がよりシリアスでよかったとおもうが、どうであろうか。
「容疑者Xの献身」公式ホームページ:http://yougisha-x.com/
最近世間ではカレー鍋がはやっているそうだ。食べたことがないので、評価はできないが、こんなものかと、とりあえず作ってみた。限りなくスープ・カレーに近いのだけれど。
カレー鍋(土鍋に水を入れ、だし昆布、日本酒、豚スペアリブをいれて、とろ火。大根を拍子木に切ったもの、キャベツをざく切りしたもの、白ネギを薄くソギギリしたものをいれ、煮る。薄口醤油とナンプラーをいれて塩分を整える。カレー粉を好みで加える。煮込む。卓上に運び、舞茸、ブナしめじ、ニラ、豚しゃぶしゃぶにくを好みで加えて食する。仕上げに、稲庭うどんをくわえて”カレーうどん”にして食す)