東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

荻窪の親戚を何年かぶりに訪問

2012年03月22日 | 家族関連

 昨日20日に東京荻窪にある親戚の家を訪問しました。多摩センターからモノレールに乗って、立川駅でのりかえて中央線の荻窪駅から徒歩20分程度の距離にあります。父親の姉やいとこが住んでいます。初めてこの親戚の家に行ったのは、私が高校3年生の大学受験の時です。かれこれ、40年ほど前になります。さらにもっと昔、この親戚は秋田県に住んでいました。このため、我家では通称「秋田のおじさん、秋田のおばさん」と呼んでいます。この親戚が秋田県にあった頃、遠く山口県から旅行して訪れたことがありました。小学校4年の夏休みの時でした。

          二本のモノレール橋脚下をくぐって、JR立川駅に向かう


 立川に立ち寄ってお土産を買い、JR立川駅からは中央線に乗りました。この中央線、私が青梅に住んでいた頃は毎日のように乗車していました。青梅始発電車に乗って東京まで行き、山手線に乗り換えて品川駅の会社ビルに通っていました。とても大変な通勤だったことを覚えています。
 荻窪駅で駅を降りて親戚に向かいました。私が大学生時代に西口改札を降りるとすぐ映画館があったことを覚えています。今、映画館はありません。西友の駅ビルができてから、すっかり荻窪は変わりました。それでも、親戚までのコースは覚えているので難なく行くことができます。

       中央線に乗ったJR立川駅         下車したJR荻窪駅
 

 荻窪駅から歩いていると、昔とほとんど変わらない目印となるお寺があります。「荻窪」の名前の由来になった慈雲山 荻寺 光明院です。昔はこの境内を通行することができましたが、今は境内の脇道を通行するようになっています。また、もう一つの目印はで旧電電公社の建物です。今は新しい建物になっています。

       慈雲山 荻寺 光明院の境内       旧電電公社の新しい建物
 

 荻窪から20分程度歩くと親戚に付きました。通称「秋田のおじさん」が元気な頃は、この家の前で手を振って待っていてくれたものでした。しかし、何年か前に亡くなりました。40年ほど前、このおじさんに大学受験のために東京内を案内してもらったことを今でも思い出します。当時の学生街だったお茶の水付近は特に丁寧に案内してもらいました。

               やや右手前と奥にある二軒が親戚の家


 親戚の家に着くと最初に、亡くなったおじさんに線香をあげてお祈りしました。通称「秋田のおばさん」は思ったより元気で安心しました。笑い声は昔のままでした。父母の過酷な戦争体験から始まり、秋田の話、親戚の近況、介護の話など話が尽きませんでした。午前11時頃に着いてから、午後5時頃までずっと話し続けました。

          右から「秋田のおばさん」、いとこ(典ちゃん)、いとこのご主人


 親戚の家を出ると、ややあたりは暗くなりかけていました。来た道を急ぐように歩きました。西口で降りたので、こんどは北口の改札口に向かって歩いてみました。西友ができる前、おばさんに連れられて通路にあった賑やかな商店街を歩いたことを思い出しました。今は、その商店街はありません。

  荻窪西口前、駅ビルSEIYUが見える         荻窪北口前のバス停
 

 再び立川からモノレールで多摩センターに向かいました。この頃になると、あたりはすっかり暗くなっていました。しかし、休日のためか大勢が行き交っていました。立川はモノレールができてから、すっかり変わりました。南口は昔は裏さみしい歓楽街しかなかったように思いましたが、今は商店街ビルが増えて賑やかになっていました。多摩センターまでのモノレール、運よく座ることができ終点まで眠ってしまいました。

                 あたりが薄暗くなった立川南口方面

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