個人的には田布施町麻里府には何度も史跡調査に行きました。しかし、ウォーキングで皆さんをお連れしたことはありません。このため、11月に麻里府をウォーキングすることにしました。今回、事前調査のためのウォーキングをしました。最初、麻里府全てを一度でウォーキングするつもりで調査しましたが、とても回りきれないことが分かりました。麻里府は思っていたより史跡が多くあったのです。そのため、麻里府の上郷周辺は来年ウォーキングすることにしました。
麻里府公民館の独歩碑 同地水田のぶほ詩碑 尾津西のお地蔵様1
時々雨が激しく降るような不安定な天気でしたが、調査を強行しました。麻里府公民館に10:00に集合しました。最初、公民館にある国木田独歩の石碑、そして水田のぶほの詩碑を見学しました。次に、尾津西のお地蔵様を見学後、国道188号線を光市方面に桜川まで歩きました。そして、謎の無名石碑を見学しました。この石、石碑なのか単なる庭石なのか分かりません。ただ、石の前に花が生けることができる石棚があるため、かつては何かの石碑だったことは間違いないようです。隣りの家でお聞きしましたが、昔からある石で今となっては由来は不明とのことでした、残念!
尾津西のお地蔵様2 謎の無名石碑 大谷忠之進の墓石
続いて、立石墓地に行きました。この墓地は数年前に来たことがありますが、その時は藪でした。今回行ってみると、綺麗に刈り払われていました。この墓地に葬られている、加徳丸事件で殺害された薩摩藩士大谷忠之進の墓地に行きました。そのお墓はひっそりと立石墓地の中にありました。立石墓地を引き返すと、住吉神社に行きました。元麻里府小学校正面の山上にある石階段を登りきった所にお社があります。
元麻里府小学校正面の山上に鎮座する住吉神社
住吉神社を参拝すると、元麻里府小学校裏に行きました。そこには、井戸があるお地蔵様があります。私の考えでは、江戸時代は元麻里府小学校付近まで海岸でした。海岸近くは真水がなく、当時の人は真水を手に入れることが困難でした。そのような時、山裾のこの井戸は清水が湧き出る貴重な場所ではなかったのではないでしょうか。その貴重な場所に感謝してお地蔵様が安置されたのではないでしょうか。今、井戸には重い蓋がしてあります。かつて、このお地蔵様を世話するお婆さんが小学校上に住んでいたそうです。
手前の井戸とお地蔵様 明楽寺に向かう道すがら 明楽寺に到着
井戸持ちのお地蔵様を見学すると、一路明楽寺を目指しました。お寺に着くと、本堂を見学させていただけるようご挨拶しました。すると、最初に子供達が、続いて奥様が出てこられました。奥様と子供達は去年12月のキャンドルナイトでお会いしたことがあります。そして、息子さんの一人はこの夏、元麻里府小学校体育館での太鼓練習で会いました。
感謝、ご住職様と奥様 本堂でお昼休憩 後片付けする子供達
ご住職の奥様は、高校生の時に僧職に就くことを志しされたそうです。そして、西本願寺でご住職と出会われたとのこと。西本願寺は、つい一週間ほど前に私が京都旅行した時に見学したお寺です。お接待に加えて、心温まるお話をお聞かせいただいて感謝します。ありがとうございました。
この頃、ちょうどお昼になりました。ありがたいことに、明楽寺本堂でお昼休憩させていただきました。昼食後、明楽寺の向かい側の山にある招魂場に向かいました。
麻里府の尾津西と中郷地区の下見ウォーキングコース