東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市 楽しかった新庄史跡巡りウォーキング(2/3)

2017年06月26日 | 歴史探訪他ウォーキング

  高林寺でお昼休憩をしました。私は門近くの木陰にシートを敷いて、数人と一緒に座って休憩しました。楽しい話題でなごみながら、いつものようにコンビニ弁当を食べました。そのうち、お菓子などのおすそわけが回ってきました。休憩が終わると、次の見学地である岩政次郎右衛門顕彰碑に向かって出発しました。

    昼食休憩をした高林寺         岩政次郎右衛門の顕彰碑
 

 岩政次郎右衛門は、江戸時代に新庄の農政改革をした人です。新庄の中心部に土穂石川が流れていますが、その川に向かってどの田んぼも傾斜しています。つまり、土穂石川の水を田んぼに利用できないのです。そこで、今の黒杭ダム近くから新庄まで水を引く水路を建設しました。そのおかげで新庄は豊かになったそうです。その岩政次郎右衛門が顕彰された碑を見学しました。

    柳井の名木の一つ、ラクウショウの大木


 次に柳井市の名木の一つであるラクウショウの大木を見に行きました。この頃になると、太陽が真上に昇り直射日光が肌に突き刺さりました。女性陣は日傘をさしながらのウォーキングです。ラクウショウの大木はとても高いので目立ちます。この木は民家の庭に生えています。この民家は誰も住んでいないようです。門に愛育園と書かれています。かつて、恵まれない子供達が通っていたのでしょうか。

  ラクウショウの気根があちこちに      ラクウショウの幹にタッチ
 

 ラクウショウは気根が多く生える樹木のようです。民家の周りに、たくさんの気根が地面から空に上に向かって生えていました。ラクウショウは民家の庭に生えているため入れません。しかし。民家を囲む庭木に隙間があり、その隙間からラクウショウの下に行くことができます。ラクウショウの下はちょっとした木陰になっていました。

          涼しい木陰になっているラクウショウの下


 続いて、荒神社に行きました。この荒神社、ブロック製小屋で囲まれていました。木造の祠は雨に弱いため、ブロックで囲ったのではないかと思います。荒れて倒壊寸前のお社が少なくない昨今、このようにして祠を守っている地域もあるのですね。

ブロックで囲まれた荒神社   荒神社の説明を聞く    火伏地蔵尊に向かう
  

 荒神社の祠を見終わると、次の目的地である火伏地蔵尊に向かいました。昔の人は火事を非常に畏れました。火事になると家屋敷が無くなります。すると、元のように再建するまでに2世代位かかるそうです。また、隣近所に甚大に被害をもたらすのです。

       楽しくウォーキングした柳井市新庄の史跡コース

コメント
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