壇上伽藍から奥の院入口駐車場までは車で移動しました。駐車場から奥の院の入口に近づくと、何やら騒がしい声が聞こえました。外国から来た団体の観光客が、高野山のお坊さんと一緒に写真におさまったり握手していました。しばらくすると、それらの観光客はバスに向かって去って行きました。奥の院に入ると少し静かになりました。その後は粛々と歩いて奥の院内を歩きました。
たくさんの墓石や慰霊碑が建つ杉木立の奥の院
40年前にも思いましたが、奥の院にはどうして大名や会社などの慰霊碑(墓地)あるでしょうか。ある会社の慰霊碑は、仕事中に不幸にも亡くなった社員を弔うためのようです。よく耳にする戦国大名の慰霊碑は何のために奥の院にあるのか不思議です。大名の先祖を弔うためでしょうか。
大黒天御共所 御廟の橋を渡る 汗かき地蔵
史実かどうか分からないのですが、長尾景虎(のちの上杉謙信)が同族の争いに嫌気がさして、奥の院に籠ってしまったことがあるそうです。そこで、困った家来たちが奥の院から越後に戻るよう説得したとか。杉木立の奥の院をどんどん進むと、大黒天御共所がありました。さらに道を進んで、御廟の橋を渡りました。なお、これから先は写真を撮影することができません。
霊気が漂うたくさんの杉の大木
御廟の橋を渡ると、弘法大師御廟に向かいました。そして、燈籠同に入りました。40年前に来たときは、たくさんのろうそくが灯っていたように思いました。真っ暗な中にたなびくたくさんのろうそくは幻想的でした。そのろうそくが、今は電球でした。もしかして、今後はLEDが灯されるのかもしれません。奥の院を散策し終わると、駐車場に戻りました。そして、宿泊するホテルに移動することにしました。
吉野川沿いのホテルに到着 今宵も美味しい食事にお酒で歓談
高野山の大門を窓越しに見てから、和歌山県橋本市の吉野川沿いにあるホテルに直行しました。このホテルは宿泊するだけで、食堂は隣の建物にありました。荷物をホテルの部屋に置くと、食堂に向かいました。そして、皆で食事をしながらこの1日を振り返りました。熊野の山の頂に鎮座する玉置神社、高野山の金剛峯寺、壇上伽藍、そして奥の院などを振り返りました。次の日は、紀伊半島史跡巡り最後の日です。午前中は明日香の地を訪れます。
高野山から橋本市のホテルまでの道のり