東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

楽しかった山陰(島根県)史跡巡り旅行(7/7)

2019年12月25日 | 歴史探訪他ウォーキング

  1日目 絲原記念館 湯町窯/神魂神社/熊野他大社
  2日目 松江城/一畑薬師 日御碕神社/日御碕 島根ワイナリー/出雲キルト美術館
  3日目 物部神社/医光寺 柿本神社/津和野
  ※各日付の史跡をクリックしてください。

 11月山陰史跡巡り旅行最終日です。島根県益田市の医光寺を出る頃、お昼になりました。そこで、益田市内の食事処を探しました。すると、寿し処「みのり」がありましたので入りました。出されたお寿司のうち、のどが渇いていた私はうどん入り汁がとても良かったです。にぎりと巻きずしもまた美味しかったです。この史跡巡り旅行も3日目、みなさん少し疲れが出ているように思いました。しかし、美味しいお寿司を食べながら談笑していると、その疲れが取れたような気がしました。楽しいお昼休憩が終わると

      美味しいお寿司に舌鼓を打ちながら談笑している皆さん


 私が一番行きたかった柿本神社に向かいました。念願の柿本神社に着く直前、神様からでしょうか、安全運転に関わる注意がありました。神社への曲がり角でお巡りさんに呼び止められました。やれやれ。しばらくしてお巡りさんが去っていくと、ようやく柿本神社に参拝できました。100段位の石階段を登りきると、見晴らしが良い山の高台に着きました。その山の中腹に柿本神社が鎮座していました。

  寿し処「みのり」     柿本神社楼門       参拝前に御手洗
  

 私の念願だった柿本神社参拝の理由は、光市島田の人麻呂神社(人丸神社)の由来が、この柿本神社から来ているからです。今から300年前の江戸時代、光市島田では飢饉などで多くの子供達が亡くなる大変な危機があったそうです。飢饉による栄養失調だと思われます。そんな時に地元有志が柿本神社を訪れて、人麻呂神社(人丸神社)を勧請したとのこと。以来、人麻呂神社(人丸神社)をお守り続けているそうです。この貴重なお話は、島田~岩田ウォーキングの再下見時にお聞きしました。300年前に柿本神社を訪れた時の気持ちになって参拝させていただきました。

 人麻呂神社(人丸神社)由来の柿本神社   柿本神社から見下ろした益田市内
 

 享保の飢饉時、山口県東部に限らず関西では多くの人が亡くなったようです。田布施町の大恩寺には飢民の供養塔が残っており史跡に指定されています。また、人麻呂神社(人丸神社)のように飢饉をきっかけに建てられたお堂などが少なくありません。平生町佐賀にある太田の大師堂もその一つで、今でも毎月里人が集まって供養ともとれる「おつとめ」をしています。

  参拝前に御手洗     稲荷神社の本殿     「四季音」で夕食
  

 柿本神社に参拝した次の日、不思議なことが起きました。たまたま郷土館を訪れた田布施農工高校の先生と田布施川の歴史などについてお話をしました。話が進んで、偶然その先生が益田市出身であることが分かりました。益田市に鎮座する柿本神社の事をよくご存じでした。柿本人麻呂が歌に詠んだ幻の鴨島についても知っておられて、話がとても盛り上がりました。嬉しかったです。

           稲荷神社から見下ろした津和野街


 さて、柿本神社を出ると津和野に行きました。津和野に着くと、街を見下ろせる高台にある稲荷神社を参拝しました。夕方近くになっていたため参拝後、すぐに田布施に向かいました。途中、四季音に寄って夕食を取りながら談笑し、この旅行の余韻を楽しみました。参加された方々、お疲れ様でした。3日間の史跡巡り旅行はとても有意義でした。ありがとうございました。

         今回訪れた山陰(島根方面)史跡巡りのコース


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