木地公会堂での楽しい昼食休憩時間が終わると、最初に首切り場に行きました。恐ろしい名前の史跡です。今から600年以上前の南北朝時代、この付近であったとされるの戦いの痕跡だと思われます。この戦いなどで勝ち進んだ大内家が、周防長門の覇者になったのではないでしょうか。続いて、史跡ではないのですが猿を捕らえる巨大な罠を見学に行きました。猿がこれに入ると逃げ出すことができず、群れごと捕まることがあるようです。
次に、今回の史跡巡りウォーキング1番の史跡であると言える堀川の源光様に行きました。関西ではあまり聞いたことがない即身仏史跡です(即身仏史跡の中心は北陸東北周辺)。高僧が村人の安寧を守るため、穴に入って食事を絶って即身仏(ミイラ)になります。それは、命をかけた最も激しい苦行と言われます。その即身仏信仰が田布施にあったとは驚きです。
元儀正寺に安置されていたとされる仏様を見学
堀川の源光様を見終わると、五輪石を見学に行きました。五輪塔はよく見かけますが、この五輪石は見ただけではただの横たわった石にしか見えません。横たわった裏側に何か刻まれているのかも知れません。続いて、釈迦坊跡の祠を見に行きました。かつては、儀正寺の僧坊の一つだったようです。釈迦坊のような僧坊が木地にはいくつかあったそうです。釈迦坊跡の祠を管理していた方(釈迦坊跡傍に元在住)が、今でも掃除をするために木地外から来られるそうです。
急斜面の堀川の源光様 釈迦坊跡の祠を見学 元儀正寺の仏様の祠
釈迦坊跡の祠を過ぎると、しばらく歩きます。そして、三反田の近くに来ると早乙女塚のお話をしました。その昔、田植えをしていた早乙女が誤って侍に切られて亡くなったことがあったそうです。その可哀想な早乙女を弔うための石が田んぼにあったそうです。しかし今、圃場整備のためかどこにその石があったか分かりません。その場所を知っている方がすでに存命していませんので探しようがありません。同行した皆さんには、およその場所で早乙女塚のお話をした。なお、平生町にも同じような話があり、その石を今でも見ることができます。
元儀正寺跡近くを通り大波野の惣津へ 木地と惣津の境の峠に向かう
続いて、元儀正寺跡から見つかったとされる仏様を見学に行きました。その場所はN家から少し山に入った場所にありました。仏様はすでに木片化していました。地元の方が作ったのでしょう、仏様を守るように石を組んで作った祠になっていました。
かつてはこの仏様の祠前で、ある出会いがあったそうです。それは、お乳が出ない母親と乳が出過ぎて困る母親の出会いだそうです。当時はお乳が出ないと赤ん坊の命にかかわります。赤ん坊の命を守るための出会いの場所だったのです。私が子供の頃、乳母に育てられた人の話を聞いたことがあります。※私は、成分が母乳に近いのでしょう山羊の乳を飲んでいました。次に、1km以上歩いて、木地と惣津の間にある峠に向かいました。
木地と惣津の境の峠の五輪塔群、南北朝時代の古戦場の痕跡?
20分以上歩いたでしょうか。峠にはたくさんの五輪塔が置かれていました。バラバラになった五輪塔を最近になって直したようです。今から600年以上前の南北朝時代、この付近で戦いがあったようです。木地には古戦場との言い伝えがあります。そのためか、木地には五輪塔,五輪石,首切り場などの史跡が数多くあります。五輪塔群の遺跡を見終わると、延々と歩いて田布施町交流館に戻りました。参加された方々、お疲れ様でした。
ウォーキングした田布施町波野地区の木地の史跡巡りコース
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