我家は二つあります。母親が住んでいる山口県と、家内が住んでいる東京八王子です。主に山口県の家に住み、時々東京八王子の我家に住みます。山口県の家ですが、私が住み始めたは去年の4月からで、高校まではすぐ近くにあった古い木造家屋に住んでいました。なお、大学から去年までは引越しが多く、東京東池袋,岐阜県美濃加茂市,大阪府高石,横浜市戸塚,栃木県栃木市,金沢県高岡市,福岡県福岡市,東京青梅,東京八王子市などに住みました。それぞれに思い出があります。
今回、山口県の鉄筋コンクリート製の我家を補修することにしました。この家は40年前、私が高校を卒業した後の昭和48年(1973)に完成しました。長い月日の間に、あちこちにヒビが入ったり、場所によっては鉄筋が露出しています。今回は、主に外壁の補修工事です。
足場を運んできた来たトラック 我家の周りに足場が
この鉄筋コンクリート製の家を作った理由を、親に聞いたことがあります。その理由は、まず災害に強いためとのことでした。私が子供の頃に住んでいた古い木造家屋は、台風でよく壊れました。屋根瓦が飛んだり、雨漏りに悩まされました。台風が来るたびに窓を塞ぐように板で釘を打っていました。台風や強風などの時、風圧で土壁がゆらゆら動くのをよく見ました。さらに、床下浸水がよくありました。台風が過ぎ去った後に畳を剥ぐと、下がピチャピチャとした水面だったことを覚えています。
足場を組んでいる途中のベランダ 足場を組み終わった後のベランダ
しかしながら、鉄筋コンクリート製にして本当に良かったのか疑問です。日本の風土に合っていない気がしています。夏は直射日光の熱を吸収するためか夜になっても暑いこと。そして、冬は冷えが半端ではないことです。経済的な事も不満です。木造に比べて税金が高いことです。さらに、増改築や解体が容易にできないことです。丈夫さだけを追求した負の部分が目につきます。そして階段が急なためか、足の弱った母親は二階に上がることが苦痛のようです。
しかしながら建築当時、親がこれが災害に一番強い家と判断したのでしょう。今はなんとかうまく住み続けるしかありません。今回、コンクリートのクラックなど傷んだ場所を修繕することにしました。大きくは、外壁の補修とペンキの塗り直しです。
晩秋の緑に囲まれた中、足場で覆われた我家
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