八王子北部にある八王子城址へバイクで行ってきました。10年位前に近所の人と一緒に行って以来です。またその頃、ボーイスカウトで子供達を連れてきたことが何度か来たことがあるので、今回は地図を持たずに気軽に行ってみました。最初に御主殿跡に行きました。以前は沢脇の道を通って行けましたが、今は山の裾の道を歩いて行きます。
八王子城跡入口の案内所 御主殿跡へ通じる山道
この御主殿は城に勤める家来の館が建っていた跡です。見所は橋と石垣です。橋は再現されたものですが、引き橋になっています。戦いの最中に敵が橋を渡って来ないように橋を簡単に落とせるような構造、または橋を手繰り寄せて渡れないような構造になっているとのことです。
御主殿跡へと渡る橋、戦乱時は簡単に落とせる構造
お城の石垣は普通、天守閣などの建物を支えるものです。しかし、この御主殿の石垣は山頂にある天守閣のふもとを守る場所にあります。八王子城が山城であるため山自体が防御になっており、敵の侵入に一番さらされやすい御主殿に強固な石垣が作られたようです。
とても荒削りの石垣 歩幅が合わず上りにくい階段
私は戦国史は良く分かりませんが、八王子城は小田原城の関東西部の中心的な支城です。甲斐の武田や信濃の上杉に対する防衛として作られたようです。八王子城が作られる前に滝山城がありましたが、武田に攻められて落城寸前でした。この反省から強固な八王子城が築かれとのことです。
左右に曲がった石垣は、守りやすく攻めにくい
石垣はとても粗削りで、とても荒々しいつくりです。戦国を思わせる石造りです。石畳を歩くと、敷かれた石が不ぞろいで高さもばらばらなのでとても歩きにくいです。八王子城は、小田原北条氏が滅亡する直前に築かれ完成しきらなかったため一日で落城したようです。この狭い谷間でいったい何人が駆り出されたのだろうかと思います。
平野部の優美な城の石垣と比べて、荒く男性的な石垣
石垣を登り切ると、今で言う運動場のような広々とした場所に出ます。戦国時代、ここに何軒もの武家屋敷があったのでしょう。そして、この狭い谷に沿って作られた古道を、武士や商人達が行き来していたのでしょう。そして、小田原城からの指令や京,大阪の情報が早馬で伝えられたのではないかと思います。
石垣を登りきると、御主殿入口の門 運動場のように広い広場
御主殿から、さっき通ってきた橋や石垣が眼下に見下ろせます。ここから、沢や橋を渡ってくる敵、そして石垣を登ってくる敵を一望できたでしょう。この場所から、槍を投げたり矢を射ることが容易です。とても防御しやすい構造になっています。しかし、歴史上では一日で城が落ちてしまったとのこと。何か防御上の欠陥があったのか、裏切りや内紛があったのでしょう。
防御しやすいように、橋や石垣を眼下に見渡せる
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