東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

高塔地区ふれあいサロン会、ミカン狩りバスツアーの見守り(2/2)

2024年11月14日 | イベント,行事

 ミカン狩りが終わると、お食事処のお店に向かいました。小松街に入ると運悪く道の工事中でした。やむなく大きく海側を迂回しました。そして、道を少し戻って食事処(あらかわ)に着きました。
 食事処に着くと用意されたテーブルに座りました。しばらくすると美味しそうな釜飯のような瀬戸貝料理が出てきました。お吸物や刺身などもお盆にありました。皆さんと談笑しながら食べました。やはり旅行の一番の楽しみは食事ですね。

          皆さんと談笑しながら瀬戸外貝料理を楽しむ


 ところで、瀬戸貝は牡蠣のように海の岩に付いています。いつも海で見る瀬戸貝は親指程度の大きさですが、料理で出た瀬戸貝は養殖したものでしょうか。以前牡蠣に当たったことがあるので、最初瀬戸貝を食べることに躊躇しましたが杞憂でした。久し振りに美味しく食べた瀬戸貝でした。

  食事処(あらかわ)着    ハワイ資料館に到着   展示物の説明を受ける
  

 食事処を出ると、次は日本ハワイ移民資料館を訪れました。周防大島は移民した人の密度が日本で一番多かったそうです。明治時代初期にすでに移民している方がいたとのこと。そこで成功した方々のおかげでこの資料館ができたそうです。その成功した方々の台所が再現されていました。その台所には料理もできるとても巨大な暖炉がありました。

   日本ハワイ移民資料館前で       高塔公会堂前に無事に帰着
 

 ところで、この資料館にはブラジル移民の年譜や資料もありました。実は私の祖母や従妹はブラジルに昭和35年頃に移民しました。年譜にその当時の移民が載っていました。その祖母は異国のブラジルで亡くなりましたが、生まれたのはアメリカでした。第二次世界大戦直前に日本に逃れたとのこと。祖母の姉はそのままアメリカに残り収容されたと聞きます。
 日本ハワイ移民資料館を見学し終わると、マイクロバスに乗って高塔公会堂に帰りました。みなさん笑顔で元気だったので良かったです。お世話した方々や運転手さん達、ご苦労様でした。

          ふれあいサロン会でミカン狩りしたコース




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