先月下旬、田布施町麻郷北部の史跡巡りに行ってきました。下見のコースとはだいぶ違ったコースにしました。昼食休憩する場所とトイレを考慮した結果です。麻郷公民館に10:00に集合してスタートしました。最初に行く史跡は、2km位先にある五人力の清三郎石碑です。麻郷団地内を歩き、旭地区を通り抜け、新川地区に向かいました。その史跡は、新川地区の田布施川堤防傍にあります。到着すると、その石碑の由来などを説明後、かつて尼さんが住んでいた新川寮に向かいました。
見晴らしが良く日差しがまぶしい尾迫観音堂で昼食休憩
昭和20年以前、地域の庵,寮,寺などに尼さんが住んでいました。その尼さんは、各地域のお寺に関わるしきたりをお手伝いをしていたようです。盆暮れに各家を訪れては弔いをして、そのお礼で生活していたとのお話を聞いたことがあります。また庵,寮,寺に付属していた田んぼもあったようです。ところが、戦時中の食糧難などで弔いどころではなくなりました。人々の生活が苦しくなり、尼さんに施しをする余裕が無くなったのでしょう。そのため、次々と尼さんがいなくなりました。田布施町最期の尼さんは瑞松庵に住んでいました。
五人力の清三郎石碑 元尼さん住居の新川寮 江戸前期創建浮島神社
新川寮で小休止すると、すぐ近くにある浮島神社に行きました。子供の頃、花火大会や出店などでとても賑やかでした。ひね切明神とも呼ばれ、かつては若い女性のお尻をつねる奇祭がありました。この奇祭を再興すれば、きっとニュースになるでしょう。ちなみに、お尻をひねきられた女性は縁づきが良くなるとのこと。女性にもメリットがあると思われた奇祭でした。
もうすぐ稲荷神社 祇園山西側麓の荒神社
続いて、尾迫観音堂に向かいました。観音堂では30分位の昼食休憩をとりました。暖かい日差しを浴びながらの楽しい休憩でした。また、丘の上から望む里山風景も楽しみました。休憩が終わると、江戸時代創建の稲荷神社に向かいました。そして、丘から降りて祇園山西側麓の荒神社に行きました。
田布施町麻郷北部の史跡巡りコース
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