昼間は猛暑になるので、9日の朝早くに道端の草刈りをしました。草刈機は何台かあるのですが、回転刃を先端に取り付けた草刈機を使って草刈りをしました。1時間少しで雑草を刈り取りました。
草刈機で雑草を刈り取った麻郷高塔地区の道端
雑草を刈り取った畑はケヤキの苗を何本か植えています。そのうちの一本は去年の夏に倒れかかりました。このため、東京から持ち帰ったトラクターを使って倒れた苗を起こしました。そのケヤキは枯れることもなく元気に青葉をつけていました。
ケヤキの苗が茂る畑 トラクターで起こしたケヤキ
今回の帰省の大きな目的は第2回昭和40年卒業麻郷小学校同窓会です。去年から計画を立ててようやく今日同窓会が開かれました。第1回の小学校同窓会は5年前に開催しましたが、5年後の今日に第2回の開催です。前回は同窓生の約半数の40名が参加しましたが、今回は猛暑の夏に開催したせいか約20名の参加でした。
恩師2名、同窓生23名の同窓会
開催場所は、田布施駅前にある昭和初期の雰囲気が漂う木造建築の旅館です。この付近では一番古い建物です。実質貸切りでしたので、二階をいっぱいに明け広げて使いました。一面の畳ですので、歩くとふかふか床がたわみます。
男性から自己紹介 続いて女性が自己紹介
第1回の同窓会では参加人数が多く、かつ座る場所が狭かったためか一人一人が互いに話せなかったように思いました。このため、第2回の今回は座る場所にゆとりをもたせて、かつ机を自由に移動できるような配置にしました。
同窓生の話を楽しく聞いている、同窓生達と恩師
会場は軽くて移動しやすい長机を配置しました。このため、話が進むに合わせて長机を自由に移動させて話し込みました。懐かしさもあって開催の11時から正味6時間も話し込みました。
地元にUターンした同窓生 名古屋から駆けつけた同窓生
小学生時代は6年間もの貴重な子供時代を過ごした時期です。けんかしたり、泣いたり、怒られたり、怪我をしたり、うれしかったり・・・・人生の中で一番豊かで懐かしさを覚える時期ではないかと思います。みんな子供時代を思い出しながら夢中で話し込んでいました。
初めて参加した同窓生を囲んで 私を含む同窓生3人
午後2時頃、かつて教わった恩師に同窓生一同からプレゼントを贈りました。前回は3人の恩師の参加でしたが、そのうちの一人は今回は目が不自由で参加ができませんでした。とても残念なことですが仕方ありません。今回は2人の恩師に感謝を込めて贈り物をししました。
二人の恩師をタクシーで見送り
恩師を送り出した後、さらに3時間も長々と笑顔で話しました。この日は、旅館を貸切状態だったためさらに3時間長く楽しいひと時を過ごせました。みんなで車座になっていろいろ昔話などをしながら楽しく話しをしました。男性は頭が薄くなったり白くなっている者が多かったですが、みんな童心に戻ってあれこれ笑いあいました。
童心に戻って楽しく語り合う男性同窓生達
女性同窓生も当時の女の子に戻って話し込んでいました。今では孫もいる世代になっていますが、今回の同窓会では童心に戻って女の子になれたでしょうか。当時の出来事や小学校での話しで盛り上がっていました。
夕方5時頃に同窓会が終わりました。楽しさの余韻も冷めぬうちに一部の同窓生は2次会に出かけました。5年後に第3回の同窓会を開く予定ですが、次回はさらに楽しい企画を用意できればと思っています。
童心に戻った当時女の子 気持ちは小学生かな
山口県へ帰省して二日目の8月7日、バイクで平生,上関方面を散策しました。最初に去年の夏にも登った大星山にバイクで登りました。昔は山道しかありませんでしたが、今では尾根沿いに舗装道路ができており車でも楽に登れます。大星山の手前には箕山(みやま)と呼ばれる山があります。
大星山から、佐合島,牛島,馬島,手前に佐賀港を見下ろして
小学校の頃に、同級生と平生から箕山(みやま)を経由してこの大星山に登ろうとしたことがありました。ふもとまでは自転車で、途中からは徒歩で沢伝いに上りました。しかし、当時は道が整備されていなかったため結局登頂できませんでした。11歳頃のことでした。
左から、上関,祝島,佐合島,牛島,馬島,麻里府
大星山の頂上には数年前から発電用の風車が設置されています。直径が50mにもなる巨大な風車です。その風車がこの山の周辺に6台程度設置されています。風が強く民家から遠いので設置されたのだと思います。資金は平生町が出しているようです。
大星山頂上の巨大風車 上関の上盛山展望台
大星山からは西の眼下に佐賀港が見下ろせます。子供の頃に遠足で行った元歌が浜も見下ろせます。この付近の海には、50年ほど前に船の解体工場がありました。第二次世界大戦で使われ廃易となった戦艦や航空母艦がびっしりと並んで浮かんでいました。その船を解体する音が響いていました。その解体の様子を山から写生したことを覚えています。
50年ほど前、廃易となった航空母艦などが解体を待っていた海
天気が良かったのか、今回はとても海を遠くまで見通せました。西方面を見ると牛島の向こうに九州大分の国東半島がうっすらと見えました。南方面を見ると、上関の向こうに四国の山々がうっすらと見えました。九州や四国をとても身近に感じられるほど無数の島々が見通せました。
牛島の向こうに国東半島 上関の向こうに四国の山々
大星山から東の眼下を見下ろすと柳井方面が広がっています。ここからは柳井,大畠,大島,そして広島方面を遠望することができます。手前のふもとは伊保庄(よのしょう)です。伊保庄は私の親戚があったため子供の頃によく行きました。
大星山から、柳井,大畠,笠佐島,大島,,手前の伊保庄を見下ろして
大星山を降りると上関に向かいました。途中、山腹にある光輝病院の横を通り過ぎ、阿月を見下ろしながら下りました。天気がとても良かったためか、空や海の青さと山々や島々の緑がとても映えて綺麗でした。しばしバイクを止めて、景色を眺めることしきりでした。
山腹にある光輝病院 阿月の造船所と海向こうの大島
尾国に降りてからは上関に向かいました。尾国には万葉集の碑がありますが、田布施,平生地区には数多くの古墳があります。すぐ北の岩城山には古代朝鮮式山城の跡もあります。古代、ここは重要な地域でたくさんの人が住んでいたのでしょう。
上関に着くと、橋を通って長島に渡りました。橋が無かった昔、渡船場で船に乗り換えてから長島に渡っていました。橋ができてもしばらくは大勢の人々が毎日のように船で行き来していました。長島に渡ると上盛山を登りました。
上盛山から、さきほど通って来た大星山,尾国,,上関ラインを見て
上関の上盛山は上関小学校,上関中学校,熊毛南高等学校分校の横を抜ける道を通って行きます。標高は200~300mでしょうか。それほど高くは無いのですが、360度の景色は絶景です。東西南北の方向に、何の障害物も無く見通すことができます。今回は特に四国の山々が連なっているのがよく見えました。四国の海沿いの工場などの建物もよく見えました。
上盛山から上関街方面を見下ろして、皇座山,平郡島なども遠望
6日に山口県へ帰省しました。今では故郷で暮らした年数よりも東京で暮らしている年数の方が長くなってしまいました。1月に帰省してからまで半年しか経っていませんが、毎回帰省するときは初心に戻るような不思議な高揚感を覚えます。
いつものことですが、新横浜から新幹線に乗って徳山で降ります。東京に来た当初は新幹線は大阪までしか通じていませんでした。その当時は、新大阪で急行電車に乗り換えて瀬戸内海を眺めながら帰省したものでした。そのうち岡山,広島と新幹線が延び、最後に博多まで延びてからは徳山で下車しています。
新幹線の車窓から、後ろに流れ去る景色を眺めて
徳山駅に降りると、普通電車に乗り換え田布施駅に降り立ちます。この駅が最終駅です。ここからは徒歩で我が家に帰ります。毎回徒歩で帰る理由は、歩きながらも田舎の変化を直接目で見て確認したいからです。
新幹線を降りた徳山駅 最終の田布施駅
今回は田布施駅で二つの用事を済ませました。一つ目の用事は、小学校の同窓会を開く友末旅館の下見です。この付近では一番古い木造建物で、とてもレトロな雰囲気があります。さしずめ昭和初期の雰囲気が詰まっている建物です。この旅館のオーナーとしばらく、昭和38年の山口国体の話、元岸首相,元佐藤首相の首相就任の祭りの話などを談笑しました。そして二つ目の用事は、駅前のタクシー会社に寄って同窓会に招待する恩師へのタクシー配車の予約です。
レトロな木造建築、友末旅館 駅前のタクシー会社
二つの用事を済ませると、暑い日差しの中を故郷である麻郷に向かって歩きました。中学校の横を歩き、田布施川を渡りました。田布施交流館に寄って少し休んだ後、一気に歩き通して我が家に着きました。
田布施町役場を背に、田布施川下流方面を見下ろして
今年は全国的に猛暑の夏です。こう暑いと、畑や田んぼに行く気力が失せてしまいますね。畑で一番収穫できるのはミニトマトです。ナスは日照りのために実にしわが入ったり割れたりしています。こうなると自宅で消費するのはかまいませんが、とても人にあげることはできません。唯一収穫できて人に食べてもらうことができるのはミニトマトです。
猛暑でも元気なミニトマト 赤く色づいて美味しそう
ミニトマトは比較的栽培しやすいのですが、普通の大きさのトマトは難しいものです。以前は桃太郎トマトを栽培していましたが、路地だと雨や日照り影響を受けやすいのが一番の難点でした。ちょっとでも雨が降るとせっかく収穫直前だった実が割れてしまいます。桃太郎トマトはハウス栽培が一番のようです。味は一番良くて好きでしたが。
今回収穫したミニトマト、赤い色がとても鮮やか
この夏、猛暑が続いています。しかし、田んぼや畑の草刈りを休むわけにはいきません。特に田んぼは水がひたひたと満ちているため、田んぼの雑草は今のような猛暑は天国でしょう。7月上旬に草刈りしたばかりなのに、畦周りはもう雑草が生い茂っています。
草刈り前の南側畦 草刈り後の南側畦
田んぼ内は稲がだいぶ成長して背が伸びたため、もう雑草に負けるようなことはありません。しかし、畦周りは日陰になることがありません。このため、草を刈ったばかりなのに、すぐに草が生い茂ってきます。今草を刈っておかないと秋野菜の種蒔きに支障がでます。真夏の農作業は半分が草刈りのようなものです。
草刈りが終わった田んぼ中央の畦
今日は猛暑にもかかわらず強い風が吹いていました。このため気持ちよく草刈りできました。いつもなら汗が滝のように噴き出しますが、今日は汗が出るようなことは全くありませんでした。それでも熱中症予防のため、こまめに休憩をとりました。ペットボトルに入れた水を飲みながら、日陰になった畦に座って休みました。
草刈り前の田んぼ中央の畦 草刈り後の田んぼ中央の畦
草刈りをしていると二人の姿が近づいてきました。よく見ると別所小学校5年生の担任の先生でした。6月の田植え、7月の草取りに小学生達を連れてきた先生でした。農協の精米所を見学ついでに、この田んぼに観察に来たそうです。先生と言うと夏休みがあっていいように思いますが、休みをおして今回のようなきめ細かい子供達の学習のフォローがあり大変なのですね。
田んぼを観察に来た、別所小学校の担任の先生
ジャガイモ畑を覆うように占領したカボチャの葉
恐る恐るカボチャの葉をかき分けながらジャガイモ畑に分け入りました。そして、カボチャの葉を押しのけて足場を確保しました。地面にはカボチャの茎が縦横に張っていました。そのカボチャの茎を傷めないようにホークを使ってジャガイモを掘りました。ジャガイモの枯茎が掘る大まかな箇所です。
カボチャの葉を押しのけて足場を確保
カボチャの茎を痛めないように、ジャガイモを傷つけないようにそろそろとホークを土に突き立てました。そして、ゆっくりと土を掘り起こしました。芋を傷つけないように素手でジャガイモを次々に掘り出しました。今年は比較的大粒のジャガイモが収穫できました。
地面にホークを突き立てる ジャガイモの枯茎と芋
カボチャは思っていた以上にジャガイモ畑に縦横に張っていました。あまりジャガイモ堀りに夢中になるとカボチャを痛めてしまいます。籠一杯程度収穫して今日は終わりました。
掘ったジャガイモを籠に入れる
気温のデジタル表示部 20年ぶりに見る内部
今、デジタル温度計は液晶表示で1000円程度で買うことができます。しかし、20年ほど前はディスクリート部品を組み合わせて作るしかありませんでした。この温度計も大きくはデジタル表示部とAD変換部に分かれています。温度計測部は今はほとんどがICになっていますが、この温度計はダイオードです。このため、ダイオードを代えるといろいろ調整する必要があります。
上部が気温のデジタル表示部、下部の小さいICがAD変換部
いろいろと調べていると温度表示が点滅する理由はダイオードに流れる電流による自己発熱と分かってきました。33度位になると、自己発熱で順電流降下電圧が不安定になるようです。点滅しているときにダイオードに扇風機で風を送ると、点滅が収まり温度が正常に表示されます。そこで、ダイオードの熱が放散しやすいように、ダイオードを基板から切り離し単体にしました。これで風通しがよくなります。
熱がこもりやすい基板 基板から切り離し放散しやすく
温度を20年ぶりに校正しました。市販温度計を基準にしてトリマーを回して温度調節をしました。校正した温度は0度と30度の箇所です。今回の調節で、温度が安定して表示されるようになりました。ただし、38度以上になるとやはり点滅し始めるます。しかし、一年のうち気温が38度以上になることはまずありません。このままとすることにしました。
下が今回調節した気温計、上は20年位前に製作したデジタル目覚まし時計