東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

古い東芝製トランジスタラジオ 7TL-204Sの修理(4/8)

2014年01月16日 | 古ラジオ修理工房

この古い東芝製トランジスタラジオ 7TL-204Sの修理履歴です。それぞれをクリックしてください。

  修理(1/8) 修理(2/8)  修理(3/8) 修理(4/8)
  修理(5/8) 修理(6/8)  修理(7/8) 修理(8/8)

 中間周波増幅回路の断線していたコンデンサ0.05μFを交換したので、いよいよラジオに電気を繋いでみました。電池4個が電源ですので、定電圧電源装置の電圧を6Vに設定しました。そして、定電圧電源装置のメーターを電流に切り替えました。そして、一瞬ラジオに繋いでみました。これは、たまにラジオ内部でショートしていると熱を発生して煙が出たり、古いコンデンサが破裂することがあるためです。先日修理したカーラジオはまさに古い電解コンデンサがショートしていました。さいわいこのラジオは電流値は数mAしか流れず正常値でした。

                     定電圧装置からの6Vを、電池BOXに繋ぐ


 ところが、6Vの電源を繋いで電源スイッチを入れても全くの無音でした。普通どんなラジオやアンプでも、電源を入れてスピーカーの音に耳をすますと、小さな雑音(ホワイトノイズ)がわずかに聞こえます。その小さな音が全く聞こえてきません。電流は流れているので、少しは電子回路が働いていると思われるので不思議です。そこで、低周波増幅回路をシグナルトレーサーで調べてみました。
 すると面白い現象がおきました。低周波増幅回路初段の結合コンデンサに端子を当てると、いきなりその雑音が聞こえるようになることです。どうもその結合コンデンサの容量がゼロになっているようです。たまたま、シグナルトレーサーの端子を当てると、帯電するのかどうかの何らかの理由で電解コンデンサがわずかに生き返るようです。

        6Vに設定した定電圧装置         端子を接触するとコンデンサが生き返
 

 シグナルトレーサーからシグナルインジェクタに切り替えて、低周波増幅回路のいろいろな場所に信号を注入してみました。すると、下図の右の電解コンデンサは容量がほぼ0、中と左の電解コンデンサはかなり容量低下していることが分かりました。特に右の電解コンデンサは取り替えないと音が出ないことが分かりました。

          容量低下が認められた三つの電解コンデンサ、特に右は容量がほぼ0


 たまたまこの東芝製トランジスタラジオ7TL-204Sの電子回路を知ることができました。不思議なことに、この電子回路ではトランジスタが6石です。同じ東芝製で同じ型名の、今修理しているラジオは7石です。違いは自励式か他励式かの違いです。最初7石他励式だったのが、途中から6石自励式になったのでしょうか。

    黄〇は交換した0.05μFで、橙左上〇は容量0,他橙〇は容量低下のコンデンサ


 トランジスタ数の違いの理由はこうではないかと思います。私のこのラジオは他励式で、混合と発振にそれぞれ2S27が使われています。ところが、2S27は性能が悪かったのか製造中止となり、のちに帰還容量が12PFから1.7PFに改良された2S28,2S29が開発されたようです。その後2S28はJIS規格で2SA58になりました。
 このトランジスタの変遷を見ると、修理しているラジオは初期型の7TL-204Sではないかと思われます。トランジスタの性能が上がったことにより、原価が高い7石他励式から原価低減した6石自励式になったのではないでしょうか。

      低周波初段増幅の結合コンデンサ     根本を残して結合コンデンサを外す
 

 さて、低周波初段増幅回路の結合コンデンサが容量抜けしていたため、そのコンデンサを根元を残して取り外しました。そして、正常なコンデンサをストックしたものの中から探しました。同じ耐圧,同じ容量でずいぶんと大きさが違います。基板の裏側から取り付けできないため、残した線端に繋ぐように正常なコンデンサを取り付けました。
 取り外したコンデンサは横型で、両端から線が出ていました。しかし、交換した正常なコンデンサは縦型です。取り替えると、何だか無様な感じです。しかし、コンデンサ交換により小さいながらも音が出るようになりました。

        交換後の電解コンデンサ、ただ大きさや方向など見かけは無様!!
              〇は残した線端に繋ぐように半田付けした個所

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椎茸(しいたけ)菌を植菌した原木の積み替え

2014年01月15日 | 樹木,果樹

 去年の3月、原木に椎茸(しいたけ)菌を植菌して伏せ場に横にして寝かせておきました。植菌してからもう少しで1年になるため、椎茸が生えるように場所を移すことにしました。
 最初、日が差し込まない林の下に、原木を立てかけるための竹を横に渡しました。次に、伏せ場の原木に被せた黒い遮光布を外しました。そして、伏せ場から原木を次々に運び出して竹に立てかけました。

      林の下に、横に渡した竹            伏せ場から次々に原木を運び出す
 

 伏せ場に横にしていた原木、少しは乾いているかと思いました。しかし、あまり軽くなっていませんでした。湿った場所でしたので、湿り気がそのまま残ったようです。椎茸菌にも適度な湿り気が必要ですので、むしろ良かったかも知れません。原木を積み替える場所は、やや斜面のため倒れないように立てかけました。

                   伏せ場から原木を一本一本運び上げる


 原木を、横にした竹の棒に寄りかかるように立てかけました。そして、規則正しく交互になるように組みましたが、竹はすべりやすいため地面からしっかり立つようにしました。立てかけた原木をよく観察すると、椎茸菌が育っているのでしょうか、植菌した箇所のまわりが白くなっていました。おそらく、原木内で育った椎茸菌ではないかと思います。

      原木を丁寧に交互に組む            植菌した箇所に育った椎茸菌
 

 このまま順調に椎茸菌が育てば、この秋に最初の椎茸が出ると思います。太い原木は、数年間出続けるはずです。このように、毎年山から原木を切り出して植菌すると、自給以上に椎茸が獲れすぎます。今でも食べきれない量の椎茸を収穫できることがあります。友達や近所に配るか、それとも販売するか考えようと思います。

                 近くに立てかけていた原木、巨大な椎茸を収穫


 12月から3月にかけて、椎茸栽培に使用するコナラなどの樹木を伐採します。そして、1ヶ月位寝かせて90cmごとに輪切りにします。そして、ドリルで穴を開けて椎茸菌を植菌をします。毎冬この繰り返しです。春夏秋は米,麦,果樹,そして野菜などの農作業で忙しいのですが、冬だけは椎茸栽培を含めた山仕事が中心になります。

               今回立てかけた原木の数々、この秋に椎茸が出るか?

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古い東芝製トランジスタラジオ 7TL-204Sの修理(3/8)

2014年01月14日 | 古ラジオ修理工房

この古い東芝製トランジスタラジオ 7TL-204Sの修理履歴です。それぞれをクリックしてください。

  修理(1/8) 修理(2/8)  修理(3/8) 修理(4/8)
  修理(5/8) 修理(6/8)  修理(7/8) 修理(8/8)

 トランジスタラジオを修理する場合、筐体から回路基板を取り外して故障した部品をそっくり交換することはよくあります。しかし、このトランジスタラジオはその常識が通用しませんでした。調査してみると、以前このラジオをその常識で修理しようとして失敗した形跡がありました。
 まず最初、下図のように回路基板を外そうと三か所のネジを外しました。ところが、基板は浮くもののOSC回路基板などが当たっていたり電線が当たっていたりして取り外せません。よく見ると、回路基板はシャーシに固定されていることに気が付きました。つまり、基板単体を外すのではなく、基板を載せているシャーシごと外さなければならないのです。そこで、シャーシを取り外すことにしました。

                    基板を固定している三ヶ所のネジを取り外す


 基板を載せているシャーシを取り外すためには、チューニングダイヤル,ボリューム,そして中波短波切替えスイッチなどを取り外さなければなりません。チューニングダイヤルを取り外して根元を見ると、亀裂が入っており一部が欠けていました。以前取り外した時に欠損したのに違いありません。
 私は以前、SONY製トランジスタラジオTR-727を修理中に中波短波切替えスイッチを破損したことがあります。このため中波短波切替えスイッチは特に、注意深くゆるゆると外しました。

 根本が欠損したチューニングダイヤル       中波短波切替えスイッチを外す
 

 次にシャーシを固定しているネジを外しました。ところが、最後一つはワッシャーで固定されておりどうしても外れません。ワッシャーはスピーカーも同時に固定していました。そのワッシャーがどういう訳か緩んでいました。このため、ワッシャーを回しても雄ネジも一緒に回って外れないのです。つまり、雄ネジを固定しないとワッシャーを回すことができず外れないのです。その雄ネジを固定するためには、このラジオの前面パネルを外さなければなりません。以前このラジオを修理しようとした方が、ワッシャーを緩めたまま放置したのでしょう。ラジオ内でガタガタしていたのはスピーカーで、このワッシャーが緩んでいたためでした。

           シャーシとスピーカーを同時に固定している、緩んだままのワッシャー


 そこで、スピーカーとシャーシを固定している雄ネジを外すため前面パネルを外すことにしました。この前面パネルは細かな穴が空いており最初はアルミ製だと思っていました。そのパネルを外すため、パネルの固定部をドライバーの先でこじるように力を入れました。
 ところが、その瞬間パチっと音がして何かが飛んでいきました。その飛んだものは、ラジオの枠の一部でした。なんと、プラスチック製の枠が割れて飛んだのです。外そうとしたパネルは、実は鉄板に細かな穴を開けたものでした。力を入れた時に穴あき鉄板パネルがゆがんで枠が欠損したのです。結局のところパネルを外すと、枠がさらに欠損する恐れがあることが分かりました。当時はアルミパネルは無かったようで、鉄板に穴を開けたパネルにしたようです。

       外そうとした全面パネル固定部          欠損したラジオ枠の一部
 

 シャーシや基板を無理して取り外すと、ラジオそのものを破損してしまいかねません。基板を取り外すことがこれほど困難なラジオはめったにありません。当時、このラジオの修理を依頼された方は泣かされたはずです。
 そこで私は、シャーシや基板を取り外さないで回路基板を修理することに方向転換しました。まずは、断線していたコンデンサ0.05μFを取り替えることにしました。

       断線していたコンデンサ0.05μF       0.05μFが無いため、0.04μFで代用
 

 断線したコンデンサは0.05μFだったのですが、私のストックしていた中に同じものがありませんでした。そこで、0.04μFで代用することにしました。
 このコンデンサを交換するときに一番困ったことがあります。それは。基板を外すことができないため、基板の上側からしか交換できないことです。その対策として、断線したコンデンサの線を数mm基板に残して外しました。そして、残った数mmの線に継ぎ当てするように0.04μFのコンデンサ接続しました。

         基板に残した数mmの線に継ぎ当てるように、0.04μFのコンデンサ接続

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食べる分ずつ、今年もジャガイモと里芋の収穫

2014年01月13日 | 野菜:芋類

 畑にまだ収穫していないジャガイモと里芋が何株か残っています。食べる分だけずつ、それらの芋を掘っています。今回は、ジャガイモと里芋を掘りました。最初に、夏に植えつけた秋ジャガイモ(ニシユタカ)を掘りました。この品種のジャガイモは根元に集中して芋がありますので、とても掘りやすいです。芋が根から少しでも離れていると、よくクワを振り下ろしたときに当たって芋が欠けてしまいます。

           ジャガイモの根元近くにクワを           たくさん出てきたジャガイモ
 

 サツマイモにはメークインと男爵の2品種が有名で、春先には種芋がよく出回っています。私は大雑把には、ポテト用には男爵を、天ぷらやカレーなどにはメークインを使っています。しかし、最近はいろいろな品種が出てきています。そのため、どの品種を購入するか毎回迷っています。今回作ったニシユタカは我家の畑に合っているようです。収量が多く収穫もしやすいので、今後も秋ジャガイモとして作ろうと思います。

               数株だけ収穫した秋ジャガイモ(ニシユタカ)


 ジャガイモの次に里芋を収穫しました。里芋は春に種芋を植え付けしたもので、夏には除草するなどして育てました。そして、霜で葉が枯れはじめた12月に収穫し始めました。食べる分だけずつ掘っています。里芋の株横に三本クワを打ちつけるように振り下ろします。そして、根元を起こすようにして掘り上げました。去年里芋を作った畑と違って、今年は湿気がある畑でしたので比較的収量がありました。一株掘るだけで十分な芋を収穫できます。

   里芋の株横に三本クワを打ち込む        小芋や孫芋がたくさん付いた里芋
 

 一株で二食分程度の里芋を収穫できます。毎日里芋を食べる訳ではないため、一週間に一度程度、里芋かジャガイモを収穫します。そうすると、春先まで里芋かジャガイモを毎日のように食べることができます。ほとんどは味噌汁の具にして食べています。たまに、天ぷらやポテトサラダにして食べています。

                 今回収穫した、一株分の里芋


 この春に種芋にするため、里芋の何株かは食べないで残しておきます。保存方法ですが、正式には芋穴と呼ばれる山の斜面の横穴に束ねて入れておきます。しかし、私は株を掘らないで、株の上に厚くワラ束を重ねて保存する方法を用いています。この山口県瀬戸内地方は比較的暖かいため、この方法で十分保存できます。畑にそのまま置いただけでもよい寒さに強い品種の里芋もあります。

           春まで畑でそのまま保存したい里芋は、株に敷ワラを厚く被覆

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古い東芝製トランジスタラジオ 7TL-204Sの修理(2/8)

2014年01月12日 | 古ラジオ修理工房

この古い東芝製トランジスタラジオ 7TL-204Sの修理履歴です。それぞれをクリックしてください。

  修理(1/8) 修理(2/8)  修理(3/8) 修理(4/8)
  修理(5/8) 修理(6/8)  修理(7/8) 修理(8/8)

 このトランジスタラジオの規格が裏蓋の内側に貼られていました。それによると、中波に加えて短波(3.9~12MHz)を聞くことができます。短波を聞く人は多くありませんが、株価などを気のする経済人,競馬予想をする人,そして高層天気予報を聞く人などには欠かせない放送局があります。私は以前登山をしていた時、短波放送の気象通報を聞きながら高層天気図を作成していたことがあります。

     このラジオの受信規格など            電子部品などの配置図
 

 ラジオを直すにあたって、回路基板に使われている部品を調査しました。まずは高周波回路ですが、他励式周波数混合回路になっていました。他励式は局部発振用にトランジスタを一個余分に使いますが、安定性があると言われます。少し贅沢な回路と言えるでしょう。局部発信と周波数混合に、それぞれトランジスタ2S27が使われていました。そして、第一中間周波数増幅にトランジスタ2S23が使われていました。これらのトランジスタは、JIS規格前の東芝が製造したものです。2S23は、JIS規格で2SA49となりました。なお、2S27はJIS規格ができる前に製造中止になったようです。

       他励式周波数混合発信回路と第一中間周波数増幅回路
         下左〇は2S27,下右〇は2S23,上〇は2S27



 バリコンは真空管ラジオに使われていたようなエアバリコンが使われていました。当時はまだ真空管ラジオが幅を利かせていた時代だと思われますので、今では普通のトラッキングレスバリコンではありません。第二中間周波増幅回路にはトランジスタ2S13が使われていました。2S13は、JIS規格では2SA53になりました。

  真空管ラジオを思わせるエアバリコン    第二中間周波増幅回路 〇は2S27
 

 低周波増幅回路は、三つのトランジスタからなっていました。初段は2S14,PP出力段は2S15Aが2個です。それぞれ、JIS規格では2SB54,2SB56になりました。面白いのは、PP出力段の出力トランスが基板から切り離されて、スピーカーの隣りに単独にあることです。当時はまだトランジスタラジオ用の小型トランスの開発が遅れていたのでしょう。また、OTL回路も実用化されていなかったのでしょう。

   右から、2S14,2S15A,2S15A        スピーカー部 〇は出力トランス
 

 電子回路を丹念に調査していると、壊れた部品を一つ発見しました。第二中間周波増幅回路のセラミックコンデンサ0.05μFが断線していたのです。電池ケースと接触しやすい部位にあるため、電池を何度も入れ替えする時に接触して切れたのではないかと思われます。次回、このセラミックコンデンサを交換することにしました。

              〇:セラミックコンデンサ0.05μFの断線箇所

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もくもくと 無心に麦踏み 至福の時

2014年01月11日 | 麦,穀類,雑穀

 朝から麦畑に行って農作業しました。耕運機に走行車輪を取り付けた後、トコトコと耕耘機を押して道路を400mばかり歩いて麦畑に向かいました。麦畑に着くと、走行車輪をロータリー刃に取り替えました。そして、麦の種をまいていない場所を耕耘することにしました。ここには春、サツマイモか何かを植えようと思っています。

    走行車輪からロータリー刃に交換         ロータリー刃を装着した耕運機
 

 ロータリー刃に交換すると、エンジンをかけました。朝のため寒く、なかなかエンジンがかかりません。ようやくエンジンがかかると、暖気運転をしてから畑を耕耘しました。冬のため雑草もあまり伸びておらず、容易に耕すことができます。時々陰る朝日を浴びながら、のんびり耕耘しました。

                ロータリー刃を装着後、のんびりと麦畑の隅を耕耘


 麦畑の隅を耕し終わると、こんどは麦踏みをしました。約2週間ぶりの麦踏みです。麦踏み前に麦の生育状況を調べました。すると、11月末に種まきしたため、あまり成長していませんでした。特に分げつはほとんどしておらず残念な状況でした。今年の麦の収穫は去年の半分程度ではないと思います。今年の秋は、一昨年のように11月上旬に種まきしようと思います。

      株まきした小麦の生育状況         すじまきしたオート麦の生育状況
 

 さて、麦すじに沿ってゆったりと足踏みするように麦踏みしました。たった一人での麦踏みですので、なかなか終わりません。私が小学生の頃の早朝、広い田んぼでもくもくと麦踏みしている光景をよく見ました。どのくらい時間をかけて麦踏みしたのでしょうか。
 今までの私は、何かに追われるように時間や効率などを常に考えながら働いてきました。しかし今、私は時間や効率に追われた40年近いサラリーマンを卒業しました。これからは時間を気にしないで、寡黙に農作業しようと思います。誰からも追われることなく、もくもくと思いのままに作業できることは、ある意味至福の時ではないでしょうか。

                時々日が照る麦畑を、何も考えずもくもくと麦踏み

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古い東芝製トランジスタラジオ 7TL-204Sの修理(1/8)

2014年01月10日 | 古ラジオ修理工房

この古い東芝製トランジスタラジオ 7TL-204Sの修理履歴です。それぞれをクリックしてください。

  修理(1/8) 修理(2/8)  修理(3/8) 修理(4/8)
  修理(5/8) 修理(6/8)  修理(7/8) 修理(8/8)

  このところ連日ように山仕事などの農作業をしたため、体のあちこちが少し痛くなりました。このため、休養を兼ねて久しぶりにラジオを修理してみることにしました。年末は古い東芝製カーラジオ AR-109の修理古い三菱製カーラジオ AR-232 HXの修理をしました。他にも直している途中のラジオがありますが、山の木陰で聞くのに丁度良い大きさのトランジスタラジオを直してみることにしました。
 この東芝製トランジスタラジオ 7TL-204Sラジオは、電池を入れてもさっぱり音が出ない故障です。ラジオ内で少しガタガタと音がするのも気になります。このラジオは意外に修理が難しく、古いトランジスタラジオの修理方法を考え直すきっかけになりました。

           トランジスタラジオにしては大きめ、電池管ラジオと間違えそう 


 このトランジスタラジオは最初、その大きさやデザインから電池管ラジオかと思いました。私が持っている唯一の電池管ラジオ(松下製 4W-260)と同じ位の大きさです。また同じように手さげが付いています。
 最初に気が付いたのは、その手下げに貼られていたシートです。シートが剥がれていました。このラジオの最初の修理は、このシートを張り付けることでした。

     剥がれた手さげの黒いシート        接着剤を使ってシートを張り付け
 

 裏蓋のネジを外してみると、昭和30年代初期のトランジスタラジオでしょうか、ゲルマニウムトランジスタが配置されていました。また、検波するためのダイオードも古い型のものでした。また、ポリバリコンではなくエアバリコンが使われていました。IFTも真空管用と普通のトランジスタラジオの中間位の大きさです。ざっと見て、真空管ラジオからトランジスタラジオへの過渡期にあたるラジオではないかと思われます。

                ラジオの中は、隙間が多く広めの空間


 電源は、単2乾電池4本を使います。そして、これまで見たことがない電池入れケースが使われていました。単2乾電池4本を筒に入れ、その両端に端子がありました。この当時は、いろいろな電池BOXが考案されました。今、このような電池ケースはありません。淘汰されて消えてしまった珍しい電池ケースだと思います。

     電池を入れた筒の片側              筒の両端は端子になっている
 

 電池ケースを取り出すと、底に紙切れが落ちていました。その紙切れには、電池種別や挿入方向などが書かれていました。電池ケースに剥がれた痕跡がありました。接着剤を使ってその紙切れを電池ケースに張り付けました。

     電池ケースに接着剤を塗布              剥がれた紙切れを張り付け
 

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小中高校の同級生達と、上関町で談笑したり食事したり

2014年01月09日 | ふるさと

 小中学校の同級生N君とEさんと上関町に行きました。最初、高校同級生Sさんが上関町で経営するガソリンスタンド(S石油店)に行きました。ちょうどSさんがいて、久しぶりに談笑しました。EさんとSさんは高校3年生の時、同じA組だったそうです。Sさんのご主人も同級生です。
 しかし、ご主人は数年前仕事中に事故で亡くなりました。彼が亡くなったことは、とても悲しく残念なことでした。亡くなる数年前、彼と中学校の同窓会で逢い「私が定年になったら、一緒に魚釣りでもしよう。」などと話し合ったことがあるため、よけい悲しく思いました。
 今、そのガソリンスタンドを息子さんがしっかり継いでいます。そして、Sさんのお孫さんが10ヶ月前に生まれたとのことでした。Sさんは少し元気になったように見え、私は気持ちが少し楽になりました。
 S石油店を離れると、N君とEさんと一緒にレストラン瀬里家に行きました。以前、家内と食事したことがある海辺のレストランです。雨が降っていたため景色は残念でしたが、美味しい魚料理を堪能しつつ昔の思い出に浸りながら談笑しました。その後、温泉「鳩子の湯」に寄って帰りました。

             上関町のレストラン瀬里家で堪能した魚料理(一部)

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古い松下製電池管ラジオ 4W-260の修理(2/2)

2014年01月08日 | 古ラジオ修理工房



 古い松下製電池管ラジオ、B電池がないため動かすのを諦めていました。ところが、東京から持って帰った荷物をあれこれ整理していると、なんとこのラジオの100V電源コードが出てきました。細くて頼りなさそうな電源コードです。テスターで導通を計ると、導通していたため使えそうです。

           2年半ぶりに出してみた松下製電池管ラジオ、音が出るか?  


 絡まっていた電源コードを丁寧にほぐすように伸ばしました。とても古いコードですので、ひび割れしないか心配でした。しかし、なんとか伸ばすことができました。電池管ラジオ側に電源コードを差し込みました。漏電などショートしている恐れがあるため、100Vに一瞬つないでみました。しかし、何も起こりませんでした。大丈夫のようです。

     絡まっていた電源コード              電源コードをラジオに差し込む
 

 そもそもこのラジオは、電池で動作する真空管ラジオです。トランジスタがまだ無かった頃のポータブルラジオです。しかし、真空管を加熱するA電池(単一電池)とB電池(積層67.6V)が必要です。B電池は今、製造されていません。この電池管ラジオは、トランジスタラジオが登場すると、あっという間に駆逐されてしまいました。一時期ニュービスタと呼ばれる超小型の真空管が出たようですが、とてもトランジスタには歯が立ちませんでした。トランジスタラジオの登場によって、電池管ラジオは、投げ売り状態になったそうです。今や歴史遺産のようなラジオですので、今ではむしろ希少価値があるのではないでしょうか。

    A電池(単一電池)を入れる個所         積層67.6V電池、今や製造中止
 

 電源コードを100Vに繋いで、電源スイッチを入れてみました。すると、すぐに小さなザーっと言う雑音が聞こえてきました。真空管はスイッチを入れてから10秒位経たないと音が出ないと思っていました。電池管ラジオは意外に早く音が出るようです。フィラメントがすぐに赤熱するのでしょう。直熱式なのかも知れません。
 チューニングダイヤルを回すと、嬉しいことにラジオ放送を次々に受信しました。この電池管ラジオは、特に故障していませんでした。単に積層67.6Vが無かったため動作させることができず、故障しているかどうか分からなかっただけです。動かないと思っていたラジオが、復活するのは嬉しいものです。

               電池管ラジオの内部、4本の電池管で構成


 この電池管ラジオの端子をいろいろ調査してみました。すると、積層67.6Vで動作させるか100V電源で動作させるかの切り替えスイッチがありました。イヤホン端子も付いていました。100V電源部の蓋は開け閉めできるようになっていました。

   開閉可能な100V電源部の蓋               A:イヤホン端子,
                                                               B:電池/100V切り替えスイッチ
 

 感度もなかなか良いようです。音を大きくすると、少しばかり音が割れますが聞き取れます。
トランジスタラジオが出るのは、昭和30年代初めです。この電池管ラジオは、昭和20年代後半から昭和30年前半を飾ったポータブルラジオではなかったかと思います。濡れティッシュで汚れを綺麗に拭き取った後、その歴史を感じさせる音をもう一度聞き直しました。

              濡れティッシュで綺麗に汚れを取っている電池管ラジオ

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去年に引き続き、伐採した木々をたき火で燃やす

2014年01月07日 | 草刈り,整地



 山仕事をしていると、次々に伐採した木や枝が出ます。それらの枝や木を処分するためのたき火は欠かせません。ただ、伐採したばかりの木や枝は、生木ですのでなかなか燃えません。このため、半年以上前に伐採した木や枝を優先的に燃やしています。

     半年前に伐採して乾燥した木        乾燥しているため、軽く切りやすい
 

 燃やしていると、煙が体に吹き付けて体中が煙臭くなってしまいます。風が弱い時は煙は上に昇りますが、横風の時は体が煙に巻き込まれる時があります。そうなると、服や髪の毛が煙臭くなります。困ったことですが、仕方ありません。大昔農家かどうかを見分ける手段の一つに、煙の臭いがあったそうです。侍や商人などは、たき火などしませんでしたので。

                  空に舞い上がる、たき火の煙と炎


 今日は、風が穏やかですのでたき火の煙が真っ直ぐにたなびきます。私の子供の頃は、あちこちでたき火が行われていました。特に晩秋は、田んぼや山などで火が燃やされていました。火事になると困るので、風のない日を選んでいました。土手などでは、燃える炎が絨毯のようでした。
 都会などでは、いろいろな規制で安易にたき火ができなくなりました。お正月の伝統行事であるどんど焼きすら規制されるのはどうかとは思いますが。

                  夕闇にたなびく、たき火の煙

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今年の初仕事は、チェーンソーの整備と山仕事

2014年01月06日 | 樹木,果樹

 お正月も終わり、農作業を始めることにしました。伐採しなければならない山の木々がまだまだあるため、今年は木の伐採から始めることにしました。伐採には主にチェーンソーを使います。チェーンソーは事前によく整備することが欠かせません。そこで、伐採する前に入念にチェーンソーの刃を研ぐなどの整備を今年の仕事始めとしました。なお、このチェーンソーは亡き父親が数年前に購入した物で、いわば父親の形見です。

                チェーンソーの刃を研ぐための小道具
           A:ヤスリ,B:平ドライバー,C:刃砥ぎ角度器,D:ナット回し


 まず、チェーンソーのソーチェーン安全カバーを外して、ソーチェーンに刃砥ぎ角度器を取り付けます。この角度器は無くても構いませんが、あった方が正確な角度で刃を研ぐことができます。山の中で、緊急に刃を研ぐ時は使いません。手で引いて使う普通のノコギリは、微妙なあさりが欠かせませんが、チェーンソーはあまりあさりに気を使う必要はありません。日向ぼっこしながら、のんびりとヤスリで一つ一つの刃を研ぎました。

   角度器の角度に合わせてヤスリがけ        日向ぼっこしながら刃を研ぐ
  

 刃を研ぐと、次にソーチェーンのたるみを取りました。木を伐採し続けていると、チェーンが少しずつ弛みます。自転車のチェーンがだんだん弛むのと同じです。ナット回しをつかってガイドバーを固定しているナットを回し、ガイドバーをいったん緩めます。なお、ソーチェーンが伸びすぎていたり、刃が摩耗しすぎている場合は、同じ規格のソーチェーンを新たに購入します。私の使うチェーンソーは、まだ購入するほど緩んだり刃が摩耗していません。

        ナット2個を回して、ソーチェーンが外周を回るガイドバーを緩める


 ガイドバー緩めると、平ドライバーを使ってガイドバーを押し出すようにします。ソーチェーンが緩まなくなった箇所で、ガイドバーを押さえているナットを締め直します。これで、ガイドバーが正しい位置で固定され、ソーチェーンが正しくセットされました。あとは、ソーチェーンの回転を滑らかにするチェーンソーオイルを補充します。そして、すぐにでも使えるように、混合ガソリンも補給しておきます。また、混合ガソリンも新しく作っておきました。

     弛んでいるソーチェーンと隙間             平ドライバーで弛みを取る
 

 チェーンソーの整備が終わると、近くの山に行って今年初の山仕事をしました。プロの林業家ではないので、のんびりとした時間の中で自分でできる範囲で山仕事をしています。今、しているのは山を綺麗に伐採することです。40年ぶりの山は、すっかり笹に覆われて木も空にそびえるように立っています。この笹をある程度刈ってから、木を伐採しています。

                   山仕事の休憩中、日差しを浴びながら伐採作業


 伐採しているのは歩くのに邪魔な木だけです。夏には適度な木陰になるように、木を選んで伐採しています。また、しいたけ栽培用にするこならの木も同時に伐採しています。伐採した木は、半年位乾燥後90cm位の間隔に切って山から降ろします。そして、たき火にして燃やします。

      落葉樹はすっかり葉が落ちる          シイタケ栽培用に伐採した木
 

 笹を刈り取って木を伐採した広めの場所に、休憩用のベンチとテーブルを置こうと思っています。冬は日差しが当たり、夏は木陰になる場所です。今回、東京から持って帰った陶器の椅子を一つ仮置きしてみました。陶器ですので、雨風に強く耐久性があります。時々山仕事の手を止めて、その椅子に座って休もうと思います。いずれ、数人が休憩できるテーブルや椅子を置く計画です。陶器のテーブルもあるのですが、椅子と違って重くて山上に運び上げることができません。いつか誰かと二人で上げようと思います。

              笹刈りし木を伐採した場所に仮置きした陶器の椅子

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第3回麻郷小学校昭和40年卒業生同窓会の事務局会議

2014年01月05日 | ふるさと

 来年2015年は、5年ぶりに麻郷小学校昭和40年卒業生の同窓会をする年度です。5年ごとに同窓会をするのですが、10年前の第1回5年前の第2回と続き,今回2015年は第3回となる同窓会です。今回、その同窓会事務局会議をしました。5年ぶりの集合です。最初、この5年間の出来事などを談笑しました。
 会議の結果、同窓会の開催日を2015.8.16(日)と決めました。そして、開催場所,日時,会費は第2回と同じとしました。今年夏に住所確認と予告を兼ねて暑中見舞いを出すこと、次回事務局会議からEさんとKさんにも参加してもらうことなどが決まりました。

               5年ぶりに集まった、同窓会事務局のメンバー

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田布施町,平生町 健康ウォーキングニュースほか雑感

2014年01月04日 | 歴史探訪他ウォーキング

 お正月は神社をお参りしたり年賀状を書く以外何もすることがありません。
 このため、田布施町,平生町で主に活動している、私が代表をしている健康ウォーキングクラブ会員のための健康ウォーキングニュース新年号(ハガキ版)を作成して発送しました。一昨年このクラブを立ち上げた時、活動報告(詳細はブログで概要はハガキで),次回ウォーキング予定,そして連絡事項などのニュースを、いずれインターネットのみにしようかと思っていました。しかし、パソコンをうまく使えない方がいることが分かりハガキを残すことにしました。

      テーマ(田布施川を河口から源流まで8回に分けて歩こう)を設けてウォーキング

 第1回目(麻里府~麻郷八海)2012.11         第7回目(城南~光市塩田)2013.11

 

 ところで、私が東京郊外で暮らしていた頃、ある団体に所属していました。その団体では活動報告などをホームページで流していました。そして、そのホームページを私が担当していたこともありました。しかし、ほぼ同じ内容のものをハガキでも発送する係がありました。なぜハガキでも流すのかを聞いたことがありました。すると、パソコンを使えない方々はもちろん、都合で活動に参加できなかったり足が悪くて活動に参加できない方々がハガキを楽しみにしているそうで、さらに一枚のハガキを通じて社会参加している方がいるとの話を聞きました。
 ホームページ,メール,そしてLINEなどと違い、ハガキは手に触れることができます。パソコン,携帯電話,そしてスマートフォンのような装置を必要としません。ある意味、人に優しい通信手段だとその時に思うようになりました。
 ハガキを受け取るみなさんの表情を思い浮かべながら毎月発行しています。

                                 周東地区の山登りウォーキング例

   上関町上盛山 2013.3                   光市石城山 2013.7

 

 このクラブを立ち上げて一年後に、会員が10人集まればぎりぎりOKかと思っていたら20名以上になりました。なんとかクラブが維持できる人数には達しました。ありがたいことです。おかげさまで毎月、名所旧跡巡りを中心にした楽しいウォーキングを実施することができています。
 これからは、もう少し会員を増やしウォーキングの質を上げようと思っています。また、これまでは田布施町,平生町を中心にウォーキングしてきましたが、今年からはウォーキングする範囲を柳井市や光市などに広げてみようかと思っています。会員の意見や希望を取り入れつつ、より心身の健康作りに役立つウォーキングができたらと思っています。
 11日に定例会議をします。いつもは先月ウォーキングの反省,今月ウォーキングするコースの紹介などをしています。今回は年の初めですので、2013年の会計報告,今年のウォーキング予定,会則の見直しなどをしようと思っています。

                  会員に毎月出しているウォーキングニュース例(ハガキ版)
       
         2013.10月号                       2013.11月号
 

          2013.12月号                 2014.新年号(今回発行)
 

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電車に乗って、防府天満宮にお詣り

2014年01月03日 | ふるさと

 元日は大星山に登って初日を拝んだり、田布施や柳井市の神社をお参りしました。2日は去年と同じように防府天満宮をお詣りしました。防府天満宮は私が子供の頃からお詣りしてきました。子供の頃は、背が低かったため石段がとても高く感じました。かつての賑やかさはありませんが、山口県では一二を争う参拝者の数ではないかと思います。

   毎年のように鮮やかな露天        石階段の長い列に並ぶ
 

 お正月の防府天満宮では当たり前のことですが、長い行列が階段下から続きます。しかし、横からちゃっかり割り込む方がいます。私の後ろに並んでいた家族がそれを見て、面白い事を喋っていました。「お正月だからこそ、ちゃんと並ぶとご利益があるのにね。」と。その通りだと思います。私も50分位並んで、お賽銭を入れて今年のお祈りをしました。ところで、同じ家族が、楼門にかかるすじ雲を見て「後光のようだね。これゃあ、お願いかなうね。」と言っていました。

   昨日と違って青空がとても綺麗、楼門にかかる後光のようなすじ雲


 拝殿前のお賽銭箱前まで列が来ると、群衆がごった返していました。私もお賽銭を投げ込んでお祈りをしました。私のような年齢になると合格祈願や縁結びなどよりも、長生き成就や交通安全が主になります。そこで家内安全と交通安全のお札を購入しました。隣りの縁結びコーナーを見ると、Love神社のお札なるものを売っていました。Love神社って?独身の方や子供の縁結びを願っている方などが買うのでしょう。

   拝殿のお賽銭箱前の群衆        賑わうおみくじコーナー
 

 お札を購入すると、近くにある春風楼で休みました。ここからは防府の街並みが見下ろせます。休んでいると、小太鼓の軽快な音が聞こえてきました。その音が聞こえる方を見ると、猿回しを始めるところでした。お正月に猿回しとは、懐かしくなってその猿回しを見ることにしました。

     巨大な春風楼で休憩           懐かしい猿回し
 

 防府天満宮にお詣りした時、お札のほかに天神餅も忘れずに買います。天神餅は、大宰府天満宮で売られている梅ヶ枝餅と同じものです。いわゆる焼餅で、大宰府天満宮のように「梅」の字が刻印されていないだけです。鉄板で4個ずつ焼いたり、水分が飛ばないように薄いシートで包むのは大宰府天満宮と全く同じです。具材や製法は全く同じでも「梅ヶ枝餅」と呼ばないで「天神餅」と呼んでいるのは商標の問題があるからでしょう。

  結びつけられたたくさんの絵馬        色とりどりの露店
 

 天神餅も、やはり長い行列に並んで購入しました。この頃にはお昼を過ぎていたので、石階段の下の方にある、まちの駅「うめてらす」でカレーうどんを食べました。うどんを食べ終わり外に出ると、参拝の行列はさらに長くなっていました。

         たくさんの露店で賑わう防府天満宮境内


 ところで、防府から田布施への帰りの電車に乗っていると、車掌の声がいつもより違うことに気が付きました。そしていつもは一人の車掌が、電車後部車掌室に3人いるのです。一人は新人のようで、二人は年配のようでした。年配の二人が新人車掌にいろいろ教えているようです。電車が止まるたびに「信号よし!何々駅何々分発車よし!次は何々駅、次は何々駅です・・・・・」などと、新人車掌が元気よく声をあげていました。デビューなのでしょうか。その新人さんの姿を見ていると、応援したくなります。「がんばれ!」っと。
 さて、明日は4日の麻郷小学校同窓会事務局会議のための資料を作ろうと思います。

    てきぱきと天神餅を作っている方々          まちの駅のカレーうどん
 

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大星山で初日を拝み、神社にお詣り

2014年01月02日 | ふるさと

 東京で生活していた頃、日野市の高幡不動尊によく参拝しました。しかし、大晦日の夜勤やお正月勤務(2011年2012年)で、満足にお詣りできないこともありました。運良くお正月に帰省できた時は、近くの高松八幡宮や、少し遠出して防府市の防府天満宮にお詣りしました。
 今年は、最初に高松八幡宮を、明日防府天満宮にお詣りしようと思います。今回高松八幡宮に行く前に、山の上で初日を見ることにしました。そこでお昼に大星山に行ってみました。しかし、頂上には誰もいませんでした。強い寒風が吹き荒れる中、たった一人でお日様を拝みました。来年はここで初日の出を見たいと思います。

              お日様がちらりとしか顔を出さない曇り空の大星山山頂


 お正月の寒い山にいると、ボーイスカウトの副隊長をしていた頃を思い出しました。毎年大晦日の深夜、子供達を連れて高尾山に登っていました。そして、初日の出と共に号令をかけて服を脱いで初日に向かってお祈りをしました。子供達のてまえ、寒いとは言えず寒さに耐えました。お祈りが済むと、すぐに服を着て子供達のお母さん方が作った暖かい朝食をとりました。お正月の懐かしい思い出です。

 光輝病院付近から周防大島を見下ろして        柳井市阿月の古い町並み
 

 大星山から下山するときは、光輝病院横を通り尾国を経由して阿月を通過しました。阿月は江戸時代に浦氏が治めていました。そして、明治維新時に活躍した赤根武人や世良修蔵三が学んだ克己堂跡が阿月小学校前にあります。赤根武人は奇兵隊総監の地位にありながら、高杉晋作と対立して無念の死を遂げました。世良修蔵は戊辰戦争時に東北の地でやはり無念の死を遂げました。世良修蔵は去年のNHKテレビドラマ「八重の桜」に出ていました。彼らが青少年時代を過ごした150年前の賑やかな阿月を思い浮かべました。

                 鎌倉時代からある伊保庄の賀茂神社


 阿月を過ぎて伊保庄に入るとすぐ、賀茂神社をお詣りしました。この神社はとても古くからありこの付近に広大な荘園を持っていました。伊保庄と言う地名も、この神社の荘園にちなんでいるようです。一時は上関半島の尾国や平生の佐賀も荘園の一部だったようです。
 ちなみに、私の母方はこの伊保庄に家がありました。そのため、母親の母,祖母,そして曾祖母の家も昔からこの賀茂神社の門徒だったそうです。母親が子供の頃、賀茂神社の賑わいは相当なものだったと言っています。

     賀茂神社の奥にある本殿          巫女さんがテントで破魔矢を販売
 

 賀茂神社のお詣りが済むと、今度は柳井市の余田に行きました。余田は私の父方の出身地です。このため、私が子供の頃よく祖母に連れられて余田小学校そばにある名合八幡宮に行きました。秋祭りが近くで催されるなど、今よりも賑やかだったように記憶しています。余田の農協近くから線路を横断して大平山方面に向かって数百メートルのところにこの神社はあります。この名合八幡宮境内の碑に、私の曾祖母の姉妹「磯中イシ」の名前が刻まれています。

                    久しぶりに参拝した余田の名合八幡宮


 名合八幡宮を参拝すると、田布施町麻郷の高松八幡宮にお参りしました。この神社は山口県に帰ってからよくお参りします。神主さんは私より数年年長でたまにお話しをします。先日田布施町天神の菅原神社について少し教わりました。正月はもちろんのこと、一昨年の10年ぶりの大祭去年の秋祭りにもお詣りに行きました。また、毎年夏に初穂料をお納めしています。この麻郷や隣の麻里府に密着した神社です。
 ところで、なぜ麻里府にも高松八幡宮の門徒の方が多いのかと思っていたところ、かつて麻里府は麻郷の一部だったことを知りました。江戸時代は麻里府も麻郷の一部で、港があり栄えた麻里府が明治時代に麻郷から独立したようです。しかし今、麻里府は人口が少なくなり、麻里府小学校が麻郷小学校と統合する話があるそうです。またコンビニが一軒もなく、コンビニが複数ある麻郷に行くそうです。

                    秋祭り以後参拝した高松八幡宮

コメント (2)
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