先日、田布施町のあるスポーツ店で腕時計を購入しました。購入した一番の理由は、文字が大きく見やすかったからです。これまで、いくつか腕時計を購入してきましたが、一番永く使ったのは下画像のAです。いわゆるG-Shockと呼ばれる腕時計です。20年以上使っており、故障知らずで今でも使えるタフな腕時計です。しかし、なにせ文字が小さいので近年困っていました。また、3年ほど前、結婚式の引き出物の商品券で購入した腕時計(下図B)もあります。タイドメーターや温度計が付いているなどアウトドアには最適です。しかし、文字が小さいのです。
そんな時、スポーツ店でたまたま下画像Cの腕時計を見つけたのです。最小の機能しかありませんが、文字が大きくとても見やすいのです。しかも安価,耐水10m,そして10年間も電池交換不要なのです。購入以来この腕時計ばかり使っています。
A:20年位前購入,B:3年前に入手,C:スポーツ店で購入
お地蔵様を過ぎて、山の間をどんどん進んでいる左手にお堂が見えました。気になるので寄り道すると周北第二十七番札所でした。中に二体のお地蔵様が安置されていました。このお堂に限らず、周北八十八ヶ所霊場は今なお大事にされているようです。どのお堂も、小さいながら綺麗に清掃されたり花が生けてあるのです。
きれいに管理されている周北第二十七番札所
周北第二十七番札所から折り返して常安寺に向かっていると、今度は周北二十八番札所のお堂が見えてきました。その近くに、このお堂の由来が書かれていました。それによると、四国八十八個所霊場の第二十八番霊場から勧請されたそうです。つまり、周北霊場は四国八十八個所霊場から勧請されたもののようです。おそらく、一番霊場があるお寺のご住職が、周北霊場を創設したのかも知れません。
周北第二十八番札所 常安寺の虎ヶ岳登山案内 虎ヶ岳へ通じる登山道
周北霊場を今回初めて知りました。これまで、防陽霊場,周央霊場,周南霊場,南陽霊場,平和,南平和など知りましたが、いったいいくつ巡礼ルートがあるのでしよう。周北二十八番札所を過ぎてしばらく行くと、最奥部の常安寺に着きました。車ではこれ以上奥には行けません。周りをよく見ると、虎ヶ岳登山ルートの案内板がありました。
最奥部にある常安寺、ここが虎ヶ岳登山のスタート地点
常安寺は駐車場のスペースが十分あるようです。ここからウォーキングを始めて、虎ヶ岳へと登り、渓月院に降りて、そしてこの常安寺へと戻るコースが妥当かなと思います。このルートは周北霊場との重なっているため、楽しみなウォーキングになると思います。なお、田布施町竹尾の龍泉寺は、この渓月院の方が江戸時代初期に開いたと記録に残っています。去年、龍泉寺は400年祭をしました。つまり、今から400年前に渓月院の和尚さんが、竹尾まで来て龍泉寺を開いたのです。2月下旬に仲間と下見をしようと思います。
虎ヶ岳ウォーキングのために調査した個所
3月に光市の虎ヶ岳周辺の史跡をウォーキングする予定にしています。田布施町から車で行かなければなりません。そのため今回は、どこで車を停めてどこからから歩き始めるか検討するため、虎ヶ岳の麓を中心に調査しました。まず最初に、必ず訪問する予定の渓月院を訪れました。
3月に必ず訪問する予定の渓月院
実は、渓月院を含む虎ヶ岳をいつかはウォーキングしたいと思っていました。そのため、2年位前に渓月院を訪問していました。この時は、虎ヶ岳の周辺を何度か訪れました。渓月院に到着すると、2名の方が山から下りてきました。聞くと、そう激しい山ではないとのことでした。虎ヶ岳と言われる山は無く、尾根全体を虎ヶ岳と呼ぶそうです。なお、渓月院は20台ほどの車を駐車できそうです。
渓月院すぐ近くのお堂 渓月院近くの厳島神社 厳島神社の拝殿
渓月院へは、山中の細い道を通らなければならないがは欠点です。その道の途中にお堂がありました。そのお堂に立ち寄りましたが、何のお堂かは分かりませんでした。今は使われていないのでしょう。続いて、渓月院から北方面に行ってみました。すると、川傍の小山に鳥居があることに気がつきました。さっそく小山の石段を登りました。すると、厳島神社の拝殿がありました。厳島から勧請した神社のようです。その傍に、周北第二十六番と書かれたお堂がありました。この付近には、周北八十八ヶ所霊場の巡礼ルートがあるようです。
周北第二十六番札所 周北第二十三番札所 お地蔵様と祠
何度か道を間違えていると、道傍にやはりお堂がありました。そのお堂には周北第二十三番と書かれていました。さらに、道を奥に進むと、道横にお地蔵様と祠がありました。花が生けてあり、お地蔵様に赤いべべが着せてありました。地元の方に大事にされているお地蔵様のようです。
虎ヶ岳ウォーキングのために調査した個所
今、田布施町郷土館は改修工事中です。仕事をしていると、時々ドリルなどの音が響きます。去年は外壁の一部修繕工事でしたが、今回は全面的な改修のため、工事車両が郷土館を頻繁に出入りします。郷土館前の道路が、工事のため時々一方通行になります。
建物が見えないほど足場で囲まれた郷土館
郷土館の建物はNTTが所有しており、田布施町が借用しているとのこと。田布施町としては大変ありがたいことです。大切に建物を使わなければと思います。
この建物は昭和36年に建てられたもので、言わば昭和の建築遺産ではないかと思います。いま郷土館では町制60周年記念の思い出の写真パネル展を開催中ですが、その写真の中にこの建物がしっかりと写っています。つまり、郷土館は田布施町60年の歴史と共にあるです。
改修中の田布施町郷土館 玄関前
今年は、例年よりも多く木を焼却しています。今回は、一昨年の春に光ファイバーを入れた時に業者に伐採してもらった木を燃やしました。一部はシイタケの榾木に使いましたが、あまりに多いため森に放置していた木を燃やしました。一年以上放置していたため、表面にはキノコがたくさん出ていました。
一昨年光ファイバーを導入時に伐採した木の焼却
太目の幹であるため、なかなか燃え上がりません。下の方に小枝や枯れた竹を差し込みながら炎を保っているとだんだん燃え移りました。小枝はすぐに燃え尽きるのですが、太い幹はなかなか燃え尽きません。結局燃えつきたのは深夜でした。
小枝の炎が燃え移った木 深夜近くなっても盛んに燃える
無線式のワイヤレスチャイムを我家に取り付けました。取り付けた理由は、宅急便などの配達物が来ても耳が遠い婆様には聞こえないことです。チャイムは玄関で鳴るのですが、婆さまはの部屋は玄関から離れています。さらに、婆さまは耳が遠いためテレビを大音響で見ているのです、そのためチャイムが聞こえないのです。帰宅後の私が、いつも再配達の手続きをしなければなりません。
取り付けたワイヤレスチャイム
電気屋さんに行っていろいろ探していると、比較的安価なワイヤレスチャイムを見つけました。電池で動作するうえに、距離が50m離れていてもチャイムが鳴ります。また、電池が無くなりかけると警告が出ます。さっそく購入して我家に取り付けました。婆さまの手元に置いておけば、音に気が付かないはずはありません。あるいは、私が裏山で野良仕事をしている時でもワイヤレスチャイムをポケットに入れておれば、宅急便が来ても気が付きます。
説明書に書かれた設置方法 左がチャイムのボタン ポケットに入る大きさ
2月は平生町のMaxValuから柳井市の土穂石川方面に向かって、史跡を見学しながらウォーキングします。前回、再下見をしましたが、気が付かなかったお地蔵様や祠があることを後日知りました。今回、そのお地蔵様や祠の位置を確認するため再再下見に行ってきました。こんなに何度も下見に行くのは初めてのことです。
江戸時代からあるお地蔵様 道端のお地蔵様 海前寺跡の祠
最初に江戸時代の地図に描かれているお地蔵様を確認しました。記録によると、元々は屋根が無かったのですが、ある大雨の時にお地蔵様がある家に雨宿りに来たそうです。そのため、村人が可哀そうに思って屋根をつけたそうです。
波トタンの小屋に一時避難している子安観音とお稲荷様
続いて、小さな石屋根に入ったお地蔵様を確認しました。そして、次に子安観音に行きました。しかし、いくら探しても子安観音様がないのです。そのため、たまたま近くで畑仕事をしていた方に聞きました。すると、がけ崩れで建物が斜めになったため、今は波トタンの小屋に避難しているそうです。その波トタン小屋を探して、はれて子安観音様を確認することができました。毎年8月10日、秀巌寺のご住職様に来ていただいてお祭りをしているそうです。この子安観音は、平生町の紙芝居になっているとか。
改道記念碑 宇佐木コミュニティーセンター 伊佐木保育園跡
子安観音の隣りにお稲荷様がありました。どうして二つが一緒にあるのか聞きましたが分からないとのこと。元々は別にあったのでしょうが、何らかの理由によって一緒になったようです。最近は、世話をする人がどんどん減るため、このように一つの個所に集める例は少なくありません。
万徳寺を過ぎ,改道記念碑,宇佐木コミュニティーセンター,そして宇佐木保育園跡を過ぎて、我家に戻りました。下見をすればするほど、さらに別の史跡があることに気が付きます。
※8日から一週間、人間ドッグなどのため東京に行きます。
再再度下見で調査したコース
皇座山から降りて上関町に降りると、四階楼に行きました。久しぶりの四階楼です。四階楼に入ると、Uさんがいました。今日は勤務日のようです。私とUさんが談笑しているうちに、仲間達は四階楼をいつの間にか見学し終わって一階に戻ってきました。私は慌てて、四階までざっと見学しまた。四階楼を出ると、昼食のためレストラン瀬里家に行きました。
久しぶりの四階楼ステンドグラス 四階楼1階で和む仲間達
レストラン瀬里家に着くと、混んでいるようでした。眺めが良い2階は予約でいっぱいだったそうで、1階で食事をすることにしました。頼んだのは海鮮の天ぷら定食でした。その天ぷらが来る前に、アジなどの刺身が出ました。こりこりしてとても美味しかったです。このレストランは決して交通が便利な場所にあるわけではありません。しかし、口コミなどでだんだんリピーターが増えたのに違いありません。魚料理をそれほど食べない私にとって、美味しく食べることができる貴重なレストランです。
レストラン瀬里家で、海鮮定食をいただきながら談笑
瀬里家での食事が終わると、デッキに出て海を見下ろしました。そして、上関大橋袂にある吉田松陰の石碑を見学しました。ここの石碑が嬉しいのは、原文,読み下し文,そして現代文の三つが石碑として建てられていることです。上関町は史跡が密にあります。
瀬里家から海を見て 吉田松陰石碑を見学 道の駅で買い物
吉田松陰の石碑を見学し終わると、上関町道の駅に行きました。そして、海産物を中心に買物をしました。私は、たまたま見かけたビワアイスを食べてみました。しかし、これは大失敗でした。食べていると体の中からじわじわと冷えてきました。冬にアイスを食べるのは止めた方がいいですね。道の駅を出ると、田布施に向かって帰りました。途中、神花山古墳近くで祠を見学しました。恵比寿様の祠です。
今回散策した皇座山と上関町
いつもの仲間と上関町を散策しました。まずは、皇座山に行きました。山頂近くの駐車場に車を置いた後、頂上に歩いて行きました。夏と違って草が生えておらず楽々歩くことができました。頂上近くまでの小道は綺麗に刈られていました。地元の方々が道を綺麗に掃除したようです。夏場は作業するには酷なため、冬場に作業されているようです。
駐車場傍の白雲稲荷神社鳥居 皇座山頂に到着 山道で見つけた赤い実
ね
山頂から平群島方面を見下ろしましたが、曇り空のため四国までは見渡せませんでした。その代わりに、平群島や八島などの島々は良く見渡せました。山頂から戻ると、駐車場傍にある巨大な白雲稲荷大明神の赤い鳥居をくぐりました。そして、たくさんの鳥居をくぐって白雲稲荷大明神に行き着きました。その途中、すれ違った方が1人おられました。たった1人で白雲稲荷大明神を清掃されたようです。参道が綺麗に掃き清められていました。
赤い色で染められた白雲稲荷大明神の御社内部
白雲稲荷大明神の御社の中に入らせていただくと、ご神体と思われる巨岩がありました。ご神体を拝んだ後、あらためて海を見下ろしました。御社から下は断崖絶壁で、はるか下の方には海が広がっています。去年ウォーキングした平群島がよく見渡せました。平群島に向かうフェリーから、この御社が小さく見えたことを思い出しました。
ご神体の巨岩 御社から見下ろした平群島 たくさんの鳥居
御社から、元来た道を通って駐車場に戻りました。次に展望台に行こうかと思いましたが、時間がないためそのまま上関町に降りることにしました。ところが、皇座山から上関町に直接降りる道があるのですが工事中でした。そのため、尾国までいったん戻って上関町に行くことにしました。
今回散策した皇座山と上関町
田布施町内の小学3年生達が、郷土館に古民具などの学習のためやって来ました。麻郷小学校の生徒達をかわきりに、東田布施小学校,城南小学校,そして田布施西小学校の順に生徒たちがやってきました。たまたま、郷土館では町制60周年を記念した思い出の写真パネル展を開催しています。展示された写真の中に、各小学校の古い校舎の写真もあります。今回来館した子供達が通う校舎は皆鉄筋ですが、写真の校舎はどれも木造です。
町制60周年を記念した思い出の写真パネル展などを見学する小学生達
郷土館内での学習内容は大きく二つあります。一つ目は田布施町の古い民具の学習です。私は、昭和までに使われていた古い農業用具やその使い方などについて説明しました。例えば、昔は牛を使って耕していたこと、車が無いため歩いて移動していたこと,ニワトリを飼って卵や肉を食べていたことなどです。子供達は驚いているようでした。
二つ目は、田布施町出身の岸佐藤元宰相の学習です。この田布施町が、二人も総理大臣を、しかも兄弟宰相を輩出したことを誇りに思って欲しい、との願いでほんの短い時間でしたが説明しました。子供達の目にはどんなに映ったでしょうか。
熱心に学習する子供達 歩いて郷土館に来る小学校も
夕方、風がありませんでした。これは伐採木や枯れ枝を焼却するチャンスですので、たき火をしました。最初に不要な段ボール箱を積み、その上に細かい枯れ枝を積みました。そして、ライターで火を点けました。火をつけた直後は炎は小さかったのですが、だんだん枯れ枝に燃え移りました。
不要な段ボール箱に着火 枯れ枝に燃え移る だんだん大きくなる炎
このところ、日が長くなったことを感じます。12月であれば、5時を過ぎるとすぐに暗くなったものです。2月になると、わずかに暗くなる時刻が遅くなります。それだけ燃やす時間を多くとれます。
枯れ枝に燃え移った炎の上に、伐採した幹などの太い木を重ねました。すると、炎がだんだん強くなります。燃え盛る炎をぼんやりと見ていると、時間を忘れます。3月位まで、風が無い日を狙っては伐採した木々を焼却しようと思います。それでも、すべての木を燃やすには時間が足りません。
暗闇の中で燃え盛る炎
仕事が休みだったため、田布施町観光協会の新たな事務所を訪問して来ました。入口右には「田舎暮らしの家 おいでえ」と、左には「たぶせIJU推進協議会、田布施町観光協会」と書かれていました。今は観光協会だけが入っていますが、4月から移住促進協議会の移住体験ツアーなどの事務所にもなると思います。今全国で若者の間で田舎志向が強いようです。この事務局が、都会から田布施への移住促進のメッカになるといいなと思います。
入口から見た事務局 「おいでえ」の表示 移住などに関わる研修室
事務局がある家に入って挨拶した後、しばらくして外に出てみました。私が気にいったのは東側の広い芝生だった庭です。近くの古民家に、古びた芝刈機が二台ありました。一つは手押し式、もう一つはモーター式です。手押し式は、あちこち錆びていました。試しに動かしてみると、かろうじて動きました。まだ使えるようです。試しに芝を刈ってみましたが、残念なことに雑草が絡みついて止まってしまいました。雑草を取らないと、芝刈機は使えないようです。
田舎暮らしの家 おいでえ 田布施町観光協会事務局
田布施町観光協会の事務局では、4月初めの「さくら祭り」の会場計画を立てていました。去年までは田布施町交流館前の広場で行われてきましたが、今年は詩情公園前の広場などを使って行います。担当の方々は苦労されているようです。会場の図面を開いては何度も検討していました。
さくら祭りが済むと、移住促進協議会の移住に関わるイベントがこの事務局で本格的に始まるのだと思います。
錆びるも動いた芝刈機 2階から見たスポーツセンター 忙しい観光協会関係の方々
話が変わりますが、私は40年近く東京に住んでいました。働きながらも、故郷である田布施の田舎暮らしが忘れられませんでした。自分が田布施で暮らすならばどんな田舎暮らしをしようかと考えながら、ホームページを作っていました。下は、恥ずかしながら17年前(40歳代)の私が作ったホームページのある1ページです。
----------------------------------1998.8.1作成-----------------------------------
なぜ田舎暮らし
私はこれまで、絢爛たる都会生活や自然豊かな田舎生活の両方を経験しました。そして、いろいろな人とも交流を深めてきました。
常識的な事でしょうが、都会で暮らしてる人々は近代的で優れた生活をしています。そして、お金さえあれば必要な物はすぐに手に入ります。
しかしながら都会は、何かしら心にゆとりがなく喧騒的です。また、排気ガスなどの環境汚染,交通戦争,騒音と過剰照明などに囲まれた生活が当たり前となっています。子供も大人も、常に背中から押されて走り続けなければならないような、せわしない毎日です。また、建物や道路などのインフラは、健常者には効率的で快適であっても、お年寄りなど弱い立場の人には時として優しくありません。
一方で、文化的に一歩引いている田舎は、今やかつての貧困の痕跡はありません。人々は都会にない落ち着いた生活をしており、それに比例して他人に対して親切な人が多いような気がします。私がいろいろな山村を訪れた時、初対面の私を招き入れてお茶をふるまってくれた人が数知れずいました。都会ではありえないことです。
く
収入が多く豊かなはずの都会人の貧困な住環境、一方で収入が相対的に低いとは言え田舎の豊かな住環境。いつから逆転してしまったのでしょうか。田舎には、まだまだ男尊女卑,村八分,そして談合的な文化が残存しているように思います。しかし、世代が変わるたびに確実に改善されています。
そして今、効率化され無機質な都会において、自然と共生できる田舎生活が見直されています。都会の中にせせらぎが作られ、田舎を模した公園があちこちで造られています。また、魚や水生昆虫が住める川作りが始まっています。これらのように、ちょっとした無駄が人に優しい潤いをもたらしていることが分かってきました。
私は、人間自身にも、無駄と思われるような生活やちょっとした寄り道が、人生に潤いを与えていると思います。そして、地位,学歴,収入だけで測られてきたこれまでの幸福度の指標が変わっていく、時代の転換期に今はあると私は思います。
私は、里山を探索・調査したり田畑を借りて耕作した経験などを元に、これから本格的な田舎生活をして、そのノウハウやメンタルな心得を体得できたらと思います。
去年から風のない日を選んでは、伐採した木や枯草などを焼いています。伐採したり焼いたりするのは比較的簡単なのですが、焼く場所まで運ぶのが容易ではありません。今回は、山で伐採した木を下まで降ろしました。チェーンソーで細かく細断してからちょっとずつ運んでもよいのですが、今回は山から一気に引っ張り降ろしました。
伐採してしばらく経つため、だいぶ木は軽くなっていました。その木に紐を巻き付けて、トラクターで引っ張り下ろすのです。木の重みで、たまに紐が切れることがあります。そのため、ゆっくりと慎重に引っ張ります。山から降ろすと、焼く場所まで、ずるずると運びました。乾いているのでよく燃えると思います。なお、先日伐採したカイズカイブキはまだ葉が青々しています。燃やすのはまだ先のようです。
山から降ろしたけやき 紐で結んで降ろす 慎重にゆっくりと引っ張る
この冬の間に、伐採したすべての木を燃やそうと思いますが、雨や風がある日、また仕事などで忙しい火は燃やせません。一部は来年に持ち越して燃やすことになるかも知れません。
しかし、困ったことがおきました。トラクター底部から何かの液体が漏れているのです。エンジンオイルかと思いましたが、指で液を触ってみたところ、冷却液のようです。前輪の故障は自分で修理しましたが、冷却液が流れる管の修理はとても出来そうもありません。よく使う農機具ですので、困ったことになりました。クボタに修理を頼まなければなりません。このさい点検・修理をしてもらおうと思いますが、お金がかかりそうです。しくしく。
紐でくくった木を、山から引っ張り下ろす
先日、南庭のカイズカイブキを伐採しましたが、その南庭を大幅に変えようと思っています。今ナンテンなどが植えてあるのですが、それを花畑か花壇にしようかと思います。せっかくカイズカイブキを伐採して日当たりが良くなったので、夏向きの花を植えようと思います。そのため、今植えてあるナンテンなどを掘り起こしました。
明るい南側の庭 ナンテンの根を掘り起こす レンガも掘り出す
ナンテンは思いのほか、掘り出すことが大変でした。スコップでは無理だったため、石の多い工事現場などでよく使うツルハシを使って掘りました。根株を4個ぐらい掘り起こしました。次に、レンガを土中からすべて掘り出しました。父親がだいぶ前に花壇にしようとレンガで囲ったのに違いありません。そのレンガを掘り出して、新たな花畑か花壇に作り替えます。
土に中に埋まったレンガをすべて掘り上げ
掘り上げたレンガは脇に積み上げました。掘り上げたレンガを見ると、欠けたりセメントが付着したレンガがありました。どこかからもらってきたレンガではないかと思います。又は、戦時中に倉庫として使われたレンガだったかもしれません。私が子供の頃、高塔が集積所と言われていた時代のレンガが山裾に散乱していたのを覚えています。
レンガをすべて掘り上げると、耕運機であたりを耕しました。この春に何かの花でも植えようと思っています。球根がいいか、種がいいか、それとも果樹でも植えようかと考えています。
積み上げたレンガ 耕運機で耕す 耕し終わった南側の畑