晩秋に苗を植え付けたタマネギが収穫時期を迎えました。タマネギの葉が茶色になってきためタマネギを抜きました。そして、乾燥のため抜いたまま畑にしばらく放置しておきました。ところがそれが失敗でした。干している間に小雨が降ったきてタマネギが濡れてしまいました。そのため、すぐにひさしのある小屋に移しました。
ひさしの下で乾燥 ほぼ乾燥したタマネギ 3個位ずつ結ぶ
ひさしの下にシートを敷いて、その上に濡れたタマネギを置きました。数日もするとタマネギが乾いてきました。さらに乾かすため、次に軒下に吊るすことにしました。数個のタマネギを結んで、紐にぶら下げました。1週間ほどすれば干しあがると思います。吊るした約200個のタマネギ、来年の2月頃まで順次食べようと思います。これから半年間位、タマネギを買わなくて済みそうです。
農作業小屋の軒下にぶら下げたタマネギ
馬島の史跡巡りウォーキング箇所(クリックしてください)
1.馬島八幡宮他 2.要害山で観望 3.要害山で休憩
4.八重石海岸他 5.刎島、カブトガニ他
馬島ウォーキング、最後の見どころに行きました。それは刎島(はねしま)です。この島は馬島の南隣にあるのですが、両島はいつもは海で隔てられています。ところが、潮が引くと狭い回廊のような砂浜が出現してつながるのです。今回の馬島ウォーキングはその干潮時間をねらって計画しました。要害山でお昼休憩中はまだ干潮になっておらず、刎島と馬島の間に海が広がっているのが見えました。
潮が引いたため、回廊のように馬島からのびる砂浜を歩いて刎島に渡る
馬島から数100mも続く狭い砂浜を歩いて刎島に渡りました。左右に海を見ながら渡りました。そして、刎島の南側に向かいました。そこには、スネークロックと呼ばれる白い蛇のような模様が崖に見えるのです。早い話が、白い地層が蛇に見えるだけなのですが。ちなみに、その場所から南を見ると佐合島が目の前に見えます。
左右に海を見ながら刎島に もうすぐ刎島の南側 白蛇に見える白い地層
刎島と馬島は狭く細長い砂浜でつながっていますが、潮を満ちてくると再び海原に戻ります。急いで馬島に戻らなければなりません。スネークロックを見終わるとすぐに馬島に戻りました。なお、この刎島には悲しいお姫様の言い伝えがあります。ゆき姫伝説です。その昔、沈没した船に乗っていたお姫様が刎島に流れ着いたとの伝説です。今、その伝説は紙芝居となって語り継がれています。
刎島から馬島に戻る途中の砂浜で、左右に海
馬島に戻ると、養殖場跡の池に放されたカブトガニを観察しました。池の堤防上から観察しました。比較的大きなカブトガニばかりです。かつて、平生町でも保護活動をしたことがあったそうですがいつしかなくなりました。今、田布施町観光協会が主体となって保護活動をしています。その活動の一つとして、カブトガニに番号を付けて海に戻しています(田布施町広報 「広報たぶせ 6月号 P7 カブトガニ放流調査について」 参照)。そのうちの数匹が発見されたそうです。
堤防上からカブトガニ観察 馬島渡船場に向かう ましま丸で麻里府に戻る
このカブトガニは数億年も前から生存しています。つまり、恐竜よりも永く生きているのです。そのカブトガニの血液を採血して加工すると、画期的な医薬品になるそうです。アメリカではすでに実用化されています。田布施町のカブトガニが医薬品として使えることができれば、素晴らしい事だと思います。なお、カブトガニが死なない量を採血します。カブトガニの観察が終わると、馬島渡船場に戻りました。そして、佐合島から来たましま丸に乗って麻里府港に戻りました。馬島ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。6月は柳井市の最高峰氷室岳に登ります。
馬島史跡巡りのためウォーキングしたコース
5月初めに苗を植えた藍、その後順調に育っています。しかし、雑草も元気に育って目立つようになってきました。そのため、藍の間に生えてきた雑草を取りました。最初、耕耘機で藍ぎりぎりに耕耘することによって畝外の雑草を取り除きました。しかし、畝内の雑草は手で抜くしかありません。畑内に座って一本ずつ除草しました。雑草を抜いていると腰が強烈に痛くなってきます。休み休み作業をしました。
小麦畑隣の藍、ぎりぎりに耕耘機のロータリーで耕耘除草
6/8~6/11東京の我家に行ってきました。あいにくの雨模様でしたので、山を散策することはできませんでした。初日は久しぶりに八王子市役所に行ってきました。ついでに庁舎の食堂でランチを食べてきました。そして6/9、息子の彼女のご両親と初顔合わせするため浅草に行ってきました。
浅草の中心地でもある浅草寺(せんそうじ)と五重塔
浅草に行ったのは40年ぶりではないかと思います。40年前との大きな違いは、外国から来た旅行客がとても多い事です。江戸情緒の浅草も、外国人で溢れるようになったのですねえ。家内と私は、予定の1時間位前に浅草に着きました。余った時間、浅草寺や仲見世などを散策しました。ただ、あまりの人の多さにゆったりと見物できませんでした。人ごみの流れに押されながら移動しました。仲見世をあれこれ見物し終わると、雷門で息子を持つことにしました。
浅草雷門にて待ち合わせ 人混みの仲見世 人形焼きを購入
息子と雷門で落ち合うと浅草ビューホテルに行き、彼女のご両親と初顔合わせしました。いきなり合っても緊張のあまり話題が出ないのではないかと、息子と彼女は各人のプロフィールシートを作っていました。最初はそのプロフィールシートに沿って話題作りです。そのうちにだんだん打ち解けて、楽しく歓談することができたように思います。両家とも、今後は親戚付き合いになります。よろしくお願い致します。
緊張な面持ちで、だんだんと打ち解ける 近くのコーヒーショップに移り談笑
両家の初顔合わせが終わると、両家は近くのコーヒーショップに移って談笑しました。その後、私は秋葉原に行きました。古い昭和の真空管アンプを修理するための部品や、小年少女発明クラブで頼まれたスイッチ部品を購入しました。7月の終わりにまた東京に来ます。その時はチャレンジコンテスト工作に使う特殊部品を購入するために再び秋葉原に来ることになると思います。
今回は、息子の彼女のご両親と初顔合わせするなど、いつもと違った東京の日々でした。
上野で乗り換え秋葉原に ホコ天の秋葉原 購入した真空管用部品
春に種まきした紅花が開花し始めました。タンポポよりも黄色な花が咲いていました。紅花は寒い地域でよく栽培されています。温かいこの山口県では成長が思わしくないまま開花を迎えました。まだ栽培方法に分からないところがあります。一つ分かったことは移植に不向きな植物であることです。まだ分からないことの一つに、種をまく時期です。秋に種を蒔いた方がいいのか、春先に種を蒔いた方がいいのかです。
つぼみがたくさん付いた紅花 今年初めて咲いた花
今年は去年よりも多くの紅花の花びらを収穫できそうです。紅花の花びらは雨が降ると、黄色の染料が落ちるようで、雨が降るたびに色が黄色から赤色に変色します。そのため、雨が降る前に次々に花びらを収穫しようと思います。そして、収穫した花びらを乾燥させて赤色の染料に加工しようと思います。
目立つような黄色の紅花の花びら
久しぶりに山に行くと、小さなタケノコが何本も生えていました。これらのタケノコは隣の山から進出してきた困ったタケノコです。すぐに取り除く必要があります。いったん伸びて硬くなると、ノコギリで切らなければなりません。まだ小さく柔らかいので、足でけり倒しました。
隣の山から進出してきた困ったタケノコ
なるべく地面で倒れるように、足で踏みつけます。地上30cm未満のタケノコはこの方法で倒すことができます。しかし、1m以上に伸びたタケノコは足で踏んでもなかなか倒れません。そのような場合は鎌を使って根本を切ります。とにかくタケノコを探し回って、すべて倒しました。今後も時々、山を回ってはタケノコを絶やします。
足で踏みつけて倒す 足で蹴るように倒す 鎌で根本を切断
5月上旬に綿の種を蒔きましたが、その後たくさんの雑草が生えてきました。その雑草を取る作業をしました。雑草は肥料分が少ない畑でもどんどん大きくなります。このまま放置していると、綿は雑草に負けてしまいます。そのため、雑草を取り除いた上で、芽を二本に間引きしました。つまり、三つ以上芽生えた綿を二つにしました。このまま育つと、互いに競争しあった大きく育たないからです。二週間後頃には一本に間引きします。p
周りの雑草を取り、二本に間引いた綿
除草には平クワを使いました。綿の周りだけ残して、削るように除草します。そして、最後に手で棉の根本の草を取りました。綿の芽が二本になるように間引きし、ついでに綿の根本に肥料を施しておきました。6月,7月,8月と大きく成長し、8月末には花が咲くようになります。そして、9月には綿を収穫できるようになります。
綿の周りを残して除草 除草後の綿、株間は1m
草刈りをしていると、偶然に小さなカマキリが手に乗りました。ふりほどこうと手を動かすと、だんだん指の先に移動するのです。この春に生まれたばかりのようです。その姿をよく覗き込んで見ると、小さいとは言え精悍な面構えです。厳しい生存競争の中、無事に育って欲しいものだと思います。
指先に移動した小さく幼いカマキリ
昨日、人情噺(落語)「文七元結」の3日目(最終)が終わりました。N君お疲れ様でした。3日目が一番の出来だったように思います。次の日の今日、N君をねぎらうこともあって打ち上げ会をしました。
3日目(最終)の人情噺(落語)「文七元結」
部屋の事前掃除 受付の準備 最後は拍手喝采
打ち上げの夕べ、いつもの仲間たちと美味しい料理に美味しいお酒で楽しい時を過ごしました。ご馳走様でした。N君、演劇,芝居,落語と今後も活躍することを願っています。 ところで、6/8~6/11日東京の我家に帰ります。
いつもの仲間たちと、人情噺(落語)「文七元結」の打ち上げ会
見通しが悪い林道を1時間半位どんどん登っていくと、氷室岳の頂上が見えてきました。そして、林道の終点が見えてきました。林道の終点は拓けた眺めが良い場所です。その終点から頂上に向かってコンクリートの階段が続いていました。その階段をゆっくりと登りました。しばらく登ると、テレビ放送関連の建物とパラボラアンテナが見えてきました。目の前は氷室岳頂上です。
奥畑集落の橋から見上げた氷室岳
広場の眼下には、遠くまで見通せる絶景が広がっていました。東の方角を見ると高照山などの岩国市の山々が広がっていました。南東の方角を見ると、由宇の銭壺山などが見えました。南の方角には柳井の琴石山や、その向こうに周防大島の文殊山などが見えました。西を見ると柳井市の大平山などが見えました。そして、北の方角を見ると光市の山々で見えました。つまり、氷室岳の頂上は360度方向の山々を見ることができるのです。
銭壺山など由宇の山々 高照山など岩国の山々 氷室岳頂上の祠
頂上の景色を一通り楽しむと昼食休憩を取りました。広場なのでどこにシートを敷いてもかまいません。下見に来た4人は、広場の東側にシートを広げて昼食を取りました。いろいろな話題で談笑しながらの楽しい昼食タイムでした。
頂上広場の片隅に陣取って、楽しい昼食タイム
楽しい昼食タイムはあっと言う間に過ぎていきました。1時間位談笑したでしょうか。昼食タイムが過ぎると、腰を上げて下山することにしました。戻りのコースは元来た林道です。ずっと同じ傾斜の下り坂です。50分位わいわい言いながら下っていると、スタートした高山寺に着きました。いつもならば、このまま田布施に戻るのですが、伊陸に美味しいパン屋さんがあるとのことで、そのパン屋さんに寄りました。下見に参加された方々お疲れ様でした。
下山して到着した高山寺 伊陸の美味しいパン屋さん
田布施駅前の友末旅館で人情噺(落語)「文七元結」がありました。初日は日曜日で午後二時からの開演でしたが所用で参加できませんでした。2日目の今日参加しました。今日は午後六時半の開演です。私は受付や車の駐車場係として支援しましたが、ほとんど何もすることはありませんでした。演じるのはN君です。N君の演劇を田布施町で見たのは、2年前の走れメロス以来だと思います。
田布施の寄席:友末旅館 演台の設置確認 和服に着替え
噺の内容は人情話です。江戸時代、博打で借金を背負った男とその家族をめぐるお話です。落語はあまり知らない私ですが、廊下でそれとなく聞いていて内容が良く分かりました。時々観客が笑ったり拍手をしていたので、観客はすっかり噺の世界に吸い込まれていたようです。昨日も参加した方によると、昨日よりもずっと良かったそうです。
全身ををぶつけるようにして噺を演じるN君
終わったのが午後七時半過ぎでした。私は帰支度をする観客の誘導をしたりカメラの電源を切ったりしました。その後、いつもの仲間達と町内のお蕎麦屋さんに行って夕食を取りました。そして、噺の出来などについて談笑しました。明日も私は友末旅館に行って噺を聞きます。さらに磨きがかかった噺を聞けると思います。
帰る観客の靴を揃える いつもの仲間達と夕食を取りながら歓談
馬島の史跡巡りウォーキング箇所(クリックしてください)
1.馬島八幡宮他 2.要害山で観望 3.要害山で休憩
4.八重石海岸他 5.刎島、カブトガニ他
要害山から降りてのんびらんどうましまに行きました。あらかじめ予約しておけばコーヒーなどを準備していただけたとのことでした。うっかり忘れていました。代わりにアイスクリームを食べました。要害山を降りたばかりで少しばかり体が火照っていたため、とても美味しいアイスクリームでした。
のんびらんどうましま着 レストハウスに到着 レストハウス内で休憩
レストハウスで休憩後、八重石海岸に向かいました。この海岸にはたくさんの小さな丸い石があります。また透明度が高い海が目の前に広がっています。海岸に着くと、誰彼となく丸い石を手に取って海に向かって低く投げ始めました。うまくいけば石が水面を数回滑空します。
透明度が高い八重石海岸 誰彼となく丸い石を投げ始める
八重石海岸は秋になると、夕日がとても綺麗です。特に水平線に沈み始めると、夕日がダルマのように変形するのです。一種の蜃気楼現象ではないかと思います。このダルマ夕日を見るツアーが秋にあります。残念ながら私は行ったことがありません。いつも申し込みが遅れてしまい予約が取れないのです。このツアーの時、この八重石海岸で、太鼓の演奏があったり、フラダンスなどを見ることができます。
のんびらんどうましまを抜けて海水浴場に向かう
八重石海岸の次に海水浴場に行きました。この海水浴場、私が子供の頃に来たことがあります。施設が今のように完備されていない時代です。夏休みにはたくさんの子供達で賑わいます。海岸を見ると、二人連れだけが海岸の砂浜に座っていました。海岸は見るだけにして、六地蔵を通り過ぎ、伊藤家の大きな石碑を見学しました。書かれている内容は伊藤家のいましめとのことです。次に、ゆき姫伝説がある刎島に向かいました。
砂浜が綺麗な海水浴場 道端の六地蔵尊 伊藤家の大きな石碑
6月のウォーキングは予定降り柳井市の氷室岳です。氷室山562.6mは、柳井市と岩国市の境にある柳井市の最高峰の山です。6年ほど前、初めて氷室岳に登りました。その時は、頂上のテレビアンテナ施設を壊している途中でした。確か、アナログ放送が終わったため壊していると聞いたように思います。
なかなか立派な高山寺の山門 鎌倉時代創建の高山寺本堂
車で高山寺に到着するとご住職にご挨拶しようと思いましたがご不在でした。このお寺は臨済宗で鎌倉時代に建てられたとのこと。焼失により宝物や記録が失われましたが、平成元年に再建されたそうです。お寺の北側の庭を拝見させていただきました。氷室岳を背景に配置した庭になっているそうです。ちなみに氷室岳は周防富士とも言われています。
周防富士(氷室岳)がよく見える高山寺のお庭を見学
高山寺の庭に生えている大モクセイは柳井市の天然記念物になっています。ところで、同じ庭に生えている樹木の下に、見たことがあるような葉がたくさん落ちていました。落ちた一枚の葉に傷をつけてみました。その傷は見る見るうちに黒くなりました。この葉は、ハガキの木(タラヨウ)の葉でした。龍泉寺よりは小さな木でしたが、たくさんの葉が茂っていました。
巨岩上のお地蔵様 高山寺を振り返って 氷室岳登山口の案内板
高山寺を後にして氷室岳に向かいました。里山をのんびりと歩いていると、氷室山登山口の案内板に到着しました。ここからは、かつての登山道と車が通る林道が続いています。登山道は荒れているように見えたため林道を進むことにしました。ここから標高562.6mの氷室岳頂上までの長い長い坂道を登りました。4年前の春に登った琴石山はけっこう疲れましたが、今回はそれ以上の登りとなります。
氷室岳山麓の民家跡らしい石垣 途中の道から高山寺方面を見下ろす
玉置神社を出ると、ひたすら熊野川の上流方面に向かって走りました。そして、お昼頃に高野山に到着しました。平日でしたが、たくさんの観光客で賑わっていました。
私が高野山に初めて行ったのは22歳の時です。当時の私は、新入社員の営業経験として大阪に勤務していました。その勤務の合間に友達と行きました。もちろん車など所有していませんでしたので、大阪から電車で行きました。たしか高野山が終点だったように思います。その終点の駅からケーブルカーで登ったように思います。
駐車した金剛峯寺前 金剛峯寺の入口 金剛峯寺の山門
初めて訪れた43年前の高野山、真冬で雪が積もっていました。当時は観光化されておらず、しかも平日でしたのでとても静かでした。特に印象的だったのは壇上伽藍の根本大塔でした。真っ白な雪の平原に建つ朱色の大塔は目に焼き付くほどでした。そして、奥の院です。寒い季節で誰も歩いていない奥の院は、とても寂しく怪しい印象を持ちました。
昼食休憩後、最初に訪れた金剛峯寺
平日だったため運よく金剛峯寺前の駐車場に車を入れることができました。高野山を見学する前に腹ごしらえをしました。通りを歩いて食堂を探しました。見つけた食堂に中に入ると、平日にも関わらず混んでいました。欧米からきたたくさんの旅行客が座っていました。耳を澄ませて聞いていると、店員さんのジェスチャーやつたない英語での受け答えが聞こえました。店員さんの一生懸命さに好感が持てました。
赤白絨毯の大広間 庭が見える長い外廊下 白い砂が流れる庭
昼食休憩が終わると、最初に金剛峯寺を訪れました。快晴だったこともあり建物がとても威厳に満ちていました。必要な手続きをして建物内を見学しました。建物の中はとても広く、一度来ただけでは迷子になってしまいです。ひたすら前の人に続いて歩きました。
東斜め側から見た金剛峯寺、右手に見学のための受付
しばらく見学をしていると、赤白絨毯の敷かれた大広間の一つに入りました。その大広間でご住職の一人がご説法をしておられました。途中から入室したため話の内容までは分かりませんでした。ご説法が終わってご住職が退席すると、演壇うしろに飾られた曼荼羅などを見学しました。
大広間演壇うしろの曼荼羅を見学 約2000人の煮炊きをする釜戸
大広間を退席すると、金剛峯寺の北側内部を見学しました。白い砂が渦巻くように敷かれていました。また、2000人近い人の食事を作る大きな釜戸がありました。そして、お風呂のようなお釜がありました。今はこの釜戸は使っていないそうです。釜戸がある上を見上げると、積年の煤が付いた真っ黒な屋根裏が見えました。次に壇上伽藍に向かいました。
玉置神社のある十津川村から高野山への移動コース
久しぶりに小麦畑に行くと、畑の間からハトが数羽飛び立ちました。小麦が熟し始めたため小麦を食べに来たのです。数年前までハトやスズメの食害から麦を守るための防鳥網をかけてきました。しかし、網をかける作業には数人の手伝いが必要です。そのため、今年は防鳥糸を張ることにしました。防鳥糸ならばなんとか一人で張れますので。
小麦畑の南北に、何本かも防鳥糸を張る
防鳥糸を張るため、小麦畑の南北の端に支柱を何本か立てます。支柱を立て終わると、南北の支柱の間に防鳥糸を張ります。少しぐらいの風でたわまないように強く張ります。鳥は羽根が命です。そのため、羽根が糸に引っ掛かるのを嫌がります。これで少しは食害を免れると思います。麦が熟して硬くなる6月中旬、麦の収穫をするつもりです。
南北に支柱を立てる 立て終わった支柱 防鳥糸を支柱に結束