すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

物足りなさを、引き寄せてみる

2007年05月08日 | 雑記帳
 連休中のある日、昼下がりに小さな学校についてのTV番組が放映された。
 「○○小学校物語」と称されたその番組を、少し期待をして見たのだが、正直少し物足りなさが残った。
 同じ県内にある、全校児童7人という極小規模の学校を取り上げて、その一年を追うものであったが、「密着450日」というナレーターの声は明らかに誇大であることがわかる内容だった。
 もし言葉通りの密着であるならば、もう少しいい画面がとれたのではないかと感じた。それ以上に、主題への接近や構成の緩さが目立ったような気がする。主たるスポンサーのようであったAV関連のM社の、コマーシャル製作のおまけなのか、と思わず毒づきたいほどだった。

 それはそれとして、取材対象になった「学校」に関わる者として、この番組制作の困難さを別の視点から考えてもみた。
 つまり、製作する側にとっての隘路はこんなところにもあったのではないか、ということである。
 もちろん、きわめて個人的な予想である。

 ①小規模校の子供は、表現力が乏しい
 ②山間へき地の「絵」になりにくい実態がある
 ③放送では取り上げにくい「事件」がある

 ①に関して、言語に限らず表情や動きも含めて、これだ!というシーンが乏しかった。(だからこそ、カメラが回っている大量の時間が必要だったし、取材スタッフと子どもたちの精神的な交流が図られるほどの時間があったか、という中核的な問題があるが)スタッフは、もう少し喋ってくれればとか、面白い言葉はないかとか思ったことだろう。

 ②については、例えば通学のシーンがなかったのはどういうわけか。おそらく多くの子が自家用車による送迎か?東北の寒冷地に住む子どもの四季を撮るときに、吹雪の登校は絵になる絶好のものだろうが、それがないのは暖冬のせいだけではなかっただろう。家庭環境もしかりではないか、へき地性を感じさせるものは乏しいかもしれない(いや、実はそれを発見するのが取材者の目だと思うが)

 大きな「事件」として、一人の子の突然の転校があった(七分の一の転校なのである)。これはもちろん個人的なことであろうし、その理由は一言も語られなかった。こうした地域であれば様々な予想が浮かぶが、それ以上のものにはならない。
 年度末の、一人の担任の転勤があった。講師という身分の方であったろう。「転任先」(こういう表現であった)は、横浜市だという。この県に住む教師であるならば、これはどういうことであるかおそらく同じ予想をするだろう。教諭採用が窮めて少ない本県ではなく、他県を選ばざるを得なかったということではないのか。もちろんこれもテレビでは語らずじまいだった。

 物足りなさの原因を突き詰めて、自分の仕事に引き寄せてみるといろいろな考えが浮かぶものだなと、なんとなく感心してしまった。
 また、番組の中で惹きつけられたいくつかの場面もあったことも付記しておきたい。一番おっと思ったのは、一、二年教室の正面に飾られた額入りの一つの言葉(校訓だと思う)であった。その地域の建学の精神が凝縮されていた。

 かいたくせいしん