すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

マクドナルドの店員たちの今

2007年05月09日 | 読書
 苅谷剛彦氏が『欲ばり過ぎる日本の教育』(講談社現代新書)で、ちょっとおもしろい喩えを使っている。

 マクドナルドのシェフの悲鳴

 これだけ読むと、なんのこっちゃと思うことだろう。そもそもマクドナルドにシェフなんているのかい、などとも考えるかもしれない。
 意味は、この文章を読むとわかるだろう。

日本の学校も、ある意味そうやって(注:マクドナルドのようにということです)マニュアル化されている。ところがあるときからその人たちに一斉に、フレンチレストランのシェフになれと言い出した。子どもの注文に合わせた料理をつくってくださいと、言い出したんですよ。総合学習がまさにそれです。


 この喩えにそって考えてみると、こんなふり返り?もできるのではないか。

 総合学習について国が言い出し、進めたとき全国各地のマクドナルド店員たちの動きは次のような姿となった。
 その通りオーダーメニューを目指した者
 そんなことは無理だから、メニューを増やしましょうという者(だから、上で何料理か決めてください、という声も多かった)
 その地域にある素材を生かしたメニューがいいはずという者
 中身はハンバーガーでも包み紙を変えたり、おまけを付けようとした者
 …

 そして、総合が登場して10年を間近にした今。それらの「店」はどうなっているのか。
 形容できるほどに把握できていないが、たった一ついえるのはこういうことか。
 
 「しっかりしたハンバーガーを作ってください」という声が高くなってきた。
 そのためのコンテストもあるという。最近は欧米風の味付けが審査員のお好みらしい…

 と、ここまで書くと益々滑りそうなのでストップ。

 個人的にマクドナルドは好きではないし、苅谷氏の喩えにも違和感があるのだが、想像を広げられたので勝手に書いてみました。
 自分の仕事を見回しながらイメージしたら、「田舎の食堂」なのかな(味はしっかりしてます、と言いたい)