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ソコツキとキヅキ

2008年12月06日 | 雑記帳
 NHKの深夜の番組「トップランナー」で、西原理恵子がゲストとして登場していた。
 数日後の朝、ラジオの情報番組からも西原の声が聞こえてきた。

 好んで読んでいる漫画家とはいえないが、またけして友達になりたいタイプではないが、実に面白い発想をする人だと思う。凡人が持つ人目にとらわれた常識とはかけ離れた人生観を持っているのだろう。
 その西原が、両方の番組で同じことを言った。

 亡くなった夫、鴨志田カメラマンのことを語ったときだ。

 ソコツキとキヅキ

 つまり「底つき」と「気づき」だと思う。底は「付く」か「着く」かはたまた「就く」か少し迷うがニュアンスは伝わる。

 底までいくことによって気づきがある…私たちは、問題が生じたときにどうしても早めに手を打ち、それに対応しようとする。事態が悪化しない前に策を考え、うまく取り繕おうとする。それを駄目なことと斬り捨てる勇気はないが、いつもそれを繰りかえすことによって、対象者が問題を本当に気づかずにいってしまう場合もあるのではないか。

 底まで落ちろ、そして初めて気づきがあり、それから這い上がってこそ真の問題解決というべきではないか。強い主張である。
 西原の場合、そうして気づいた鴨志田が実は病に冒されていてなんとも言われない結末を迎えるのだが…。

 西原の言葉を聞いて、ふと思い出したのが昨年読んだ『日本人よ!』のオシムの文章だった。
 個人的な経験から導き出したのだろうが、見事に国民性へ向けられた言葉だった。

 日本では既に全てが解決されている、だから、人々は全てが解決されることに慣れてしまった