すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

姿かたちの良さが物語る

2008年12月07日 | 雑記帳
 立川談春の落語を初めて聴いた。

 その名を知ったのは数年前。直接はもちろんのことテレビやCDでも聴いたことはなかったのだが、その「名声」は書籍などを通じて知っていた。
 「天才」と呼ぶ人がいて、また「今、最もチケットが入りにくい落語家」とも称されていた。

 夏に話題のエッセイ『赤めだか』を読み、ぜひ機会があればと思っていたが、早々にそのチャンスがやってきたことは幸運だった。

 落語をきちんと?見聞きするようになってまだ数年であり、直接聞いた落語家はまだそんなに多くない。ただこの頃はDVDやCDなどでも結構聴いているので、少し幅が出てきたかなと思っている。
 その中で、腹を抱えるほど笑わせてくれた喬太郎など数人がいるし、ああ上手いなあと思わされた噺家も結構いる。正月に見た志の輔もさすがではあった。

 が、いやあ談春は凄かった。

 細かい技術を語ることは到底できないが、ただ圧倒された感がある。
 喋り、間、表情、仕草、それらが総合されて、一つの世界を創りあげているとでもいえばいいだろうか。情景を説明する語り口などもなんとも言えず上手だと思った。
 あれが芸なのだろう。

 それだけだったろうかと少し心が落ち着かなかったので、『高座の七人』という噺家写真集(といっても文庫本だが)それを見直してみた。

 そうだ、写真を見ながら改めて気づく。
 立ち姿、礼、動き…それらがしゃんとしていた。美しかった。
 吉川潮は次のように書いている。

 高座姿の美しさ、様子のよさは、いくら努力しても身につかない天性のものだ。それを持ち合わせている談春

 落語に対する姿勢がどうのこうのとまでは言えないが、姿かたちの良さが物語るものはいつも大きい。