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心棒を離さずにいるために

2008年12月30日 | 読書
 そもそも「教育再生」という言葉が怪しい。
 「教育は死んだ」などという表現も、ある特定の出来事に対して比喩的に用いられるのならともかく、公的な機関の名称としてそうした表現を用いることは、粗雑ではないのか。誰かが自説に有利な事象を拡大解釈しているに過ぎないのではないか。
 もっと緻密に現場を見、データを分析し解釈してみること、そのうえで効果的な方法を探り、手順を踏んで実行していく…こういった流れが教育には求められるのだ、というしごくもっともなことをこの本は語っていると思う。

 『教育再生の迷走』(苅谷剛彦著 筑摩書房)

 先々週、人間ドックに行ったときに読み始めたのだが、どうも読書モードに突入できず、今日ようやく読み終えた。
 題名のままに、この国の迷走ぶりがいつもながらの分析と明快な論理で語られている本である。
 政治と教育の関係について、教育をめぐる様々なデータを駆使しながら展開しているといっていいだろう。
 体調が万全でないまま読んでいると、なんだか行き先不安になってくる部分も確かにあるが、今の「改革」の何が問題なのかもはっきり見えてくる。
 個人的には、官僚主義や、反官僚主義によって台頭する政治主導に、教育がどう巻き込まれていくのか、といった点が興味深かった。まさにここ数ヶ月、そしてつい先日も「学力調査結果」を巡って本県で起こっている出来事にも合致する。

 しかし、著者自身があとがきで述べているように、あまりにも目まぐるしい変化によってわずかに二年前のことでも「過去」になってしまう現況がある。
 全国学力調査の導入や英語活動の必修化などに対して、疑問など呈している暇などなく、ひたすらに増え続けるリストをこなす現場教員の哀れな姿が思い浮かんでくるようだ。
 流れに対してどんな姿勢であるべきか常に問われるのだが、止まっていられないことだけは確かである。その時に、しっかりと離さずにいる心棒のようなものを見失ってはならないだろう。
 現場にいる私たちが時々忘れそうになることを著者はズバリと書いている。(自分だけの不明かもしれないが)

 教師にとって、仕事のやりがいは「今、ここ」にいる目の前の児童生徒たちとの関わりにおいて、どれだけ手応えや充実感を感じられるかである。

 そのために何が必要か。
 指折る数は結構多い。
 冷静な判断力とともに、あきらめずに数え組み立ててみるというねばり強さが基になることは確かである。