すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

出力性の高い書物に出合ったら

2010年07月12日 | 読書
 いやあ、面白い。さすがの内田教授である。

 こんなことを書いている。

 爾来私は書物について「出力性」を基準にその価値を考量することにしている。
 小説だってそうである。
 読んだあとに、「腹が減ってパスタが茹でたくなった」とか「ビールが飲みたくなった」とか「便通がよくなった」とか「長いことあっていない友だちに手紙が書きたくなった」いうのは、出力性の高い書物である。
 
 過日ある宴会で読書の話をした。それも小説のことである。
 同職者の集まる会ではめったに出ない話題であったので、楽しかった。
 私の乏しい読書歴ではたしいた会話は出来ないのだが、好きな作家の名前を出して、ああだこうだと薦めるのも、きっと一つ出力性が高いと言ってもいいのだろう。

 ものすごく単純に言えば「真似したくなる」ということがある。
 登場人物の語りや仕草に惹かれ、ついそんなふうに自分をつくってしまおうと思わせるなら、それはもう最高の書物だ。

 しかし怖いことに、それは社会的に認められないことにも人間として許されない面にも通ずる場合があり、その深みに足をとられたらどうしようなどという想いも浮かんでくる。

 おそらく歴史的にはそういう書物の存在があったから、様々な犯罪、紛争、戦争などが誰かの手によって実現されたものと思う。
 書物は楽しいものだが、実は怖いものでもある。

 凡人は、いくら負の出力性が高い書物に出会っても、そのエネルギーを転化し、他に害が及ばぬように健全な出力を心がけよう、などとささやかに考えている。

 なにしろ知り合いとの会話で、絶対のお薦めは『悪人』(吉田修一著)だと力説していたので。