馴染みの書店に寄ったら、『東京タワー』の文庫本が並んでいた。これももう文庫で読めるんだと何気なく思った。
家へ帰って、たまたま手にとった『波』(新潮社)の7月号に、「『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』文庫化記念対談」と銘うった企画があるではないか。
著者のリリー・フランキーと対談しているのは、かの茂木健一郎である。タイトルが奮っている。
「ムラ社会」をぶっ飛ばせ!
ムラ社会とは?なんとなく意味はわかる。でも…と思い、ないだろうなあと電子辞書を引いたら、案の定。
それではネットで。
さすがの「はてな」である。
ムラ社会=村社会
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C2%BC%BC%D2%B2%F1
さて、茂木が冒頭に言いだしたことが面白い。
『東京タワー』の良さをわかる人が二百万人以上いるのなら、日本は救われるんじゃないかと思っていた。ところが、救われなかったんだよなあ。どうしてだろう。
自分も、その良さをわかったつもりで、以前のブログにも書いた。
今はネット上にその文はないのだが、2005年の9月に書いていた。
それを読み直してみて、一つ気づいた原因がある。引用した文章の中の言葉である。
自分の個性や判断力を埋没させている
かつて東京タワーに象徴された豊かさの中に、そういう姿があるということなのだ。
もっと現状に即して言えば、「日本自体がムラ社会化して」いることを人々は気づかずに右往左往しているとでも言えばいいだろうか。
そうした二百万人では力を発揮することはできないのかもしれない。
正直、ムラ社会から逃れることなど簡単にはできない。そんな力量も度胸もない。では、どうするか。
逃れられない自分は、そのムラを取り巻く壁に向きあい、ほんの少しずつ削って向こう側を見ようとしている。そこに小さな風穴を作ることだと、言い聞かせてみる。
「陥穽から風穴をさがす」というタイトルは変えなきゃ駄目か。
家へ帰って、たまたま手にとった『波』(新潮社)の7月号に、「『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』文庫化記念対談」と銘うった企画があるではないか。
著者のリリー・フランキーと対談しているのは、かの茂木健一郎である。タイトルが奮っている。
「ムラ社会」をぶっ飛ばせ!
ムラ社会とは?なんとなく意味はわかる。でも…と思い、ないだろうなあと電子辞書を引いたら、案の定。
それではネットで。
さすがの「はてな」である。
ムラ社会=村社会
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C2%BC%BC%D2%B2%F1
さて、茂木が冒頭に言いだしたことが面白い。
『東京タワー』の良さをわかる人が二百万人以上いるのなら、日本は救われるんじゃないかと思っていた。ところが、救われなかったんだよなあ。どうしてだろう。
自分も、その良さをわかったつもりで、以前のブログにも書いた。
今はネット上にその文はないのだが、2005年の9月に書いていた。
それを読み直してみて、一つ気づいた原因がある。引用した文章の中の言葉である。
自分の個性や判断力を埋没させている
かつて東京タワーに象徴された豊かさの中に、そういう姿があるということなのだ。
もっと現状に即して言えば、「日本自体がムラ社会化して」いることを人々は気づかずに右往左往しているとでも言えばいいだろうか。
そうした二百万人では力を発揮することはできないのかもしれない。
正直、ムラ社会から逃れることなど簡単にはできない。そんな力量も度胸もない。では、どうするか。
逃れられない自分は、そのムラを取り巻く壁に向きあい、ほんの少しずつ削って向こう側を見ようとしている。そこに小さな風穴を作ることだと、言い聞かせてみる。
「陥穽から風穴をさがす」というタイトルは変えなきゃ駄目か。