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「総合」雑感メモ3

2010年07月04日 | 雑記帳
 先日参観した授業は、パソコンの一括操作システムを使いこなして、実物投影機も取り入れながら大型デジタルテレビに提示するなど、私の周辺ではあまり出来ていないことであり、その意味では参加者もずいぶん刺激をうけたと思う。

 しかし気になったこととして挙げたのは、そうしたいわば外的装置の多さ、斬新さが授業のねらいに迫るために有効だったか、という点である。
 提示装置は子どもたちが集中してこそ役立つわけであり、それがあることによって逆に集中が乱れた場面も感じられ、機器使用の難しさを改めて考えさせられてしまった。

 今後おそらく「デジタル教科書」のようなものも含めて、情報化の大きな波がやってくることは推測できる。現に「学校教育の情報化」が急激に進んでいることが実感としてある。
 しかし、現実が追いついていかない。いくら機器が豊富に揃ったとしても、それをチョークと黒板のように気軽に使いこなせる(それは無理というものかもしれないが)感覚は、私たちの多くに養われていない。

 つまり、それら情報機器の「何がいいのか」「どこに使えるのか」という検討が十分にされず、納得もできないままに、圧倒的な技術革新を目にして、単に面白がったり、ポカンと口を開けてしまったり、はては背を向けて独自路線を歩んだり…

 政策によって決定づけられる事項のようにも思うが、少なくとも現場としては敏感にそういう動きを感じとって、身構えておく必要はあるだろう。
 情報教育の優先度を上げながら、個々の教員の感覚を養っておくことが大切だ。

 児童生徒全員に情報端末が配布されるとすれば、それはある意味「黒船」ではないだろうか。