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自分の想いか、一発芸か

2011年02月27日 | 雑記帳
 千野帽子という文筆家が面白いことを書いている。

 俳句は文学の世界における一発芸です。

 俳句や短歌に憧れを持ってきた。
 基礎的な素養がないのでなかなか長続きせず、俳句にはもう十年くらい向き合っていない。

 と書きながら、ちょいとプチ自慢をすると、昨年とある観光地で募集した俳句コンテストに気まぐれに投句し、二部門あり一つは最優秀賞、もう一つは入選を果たし、ちゃっかり副賞などもいただいた自分…。

 その意味では、もしかしたら一発芸が得意なのかもと自惚れたくもなる。ただ、千野はこんなことも書いている。

 「自分」なんて全員同じだが「言葉」は無限だ、と思える人は俳句か川柳に向いています

 これは実に厳しい言い回しだ。しかし真実をついているのかなあと思う。
 言いたいことがある者は別の表現手段を選ぶべきで、何も十七音という窮屈な形式に場を求める必要がない。
 そうすれば、短歌は「+十四音」分だけ自分を出す余地があるということにもなる。その違いは意外と大きい気がする。
 
 かなり以前にもそんな比較の言葉を目にしたときがあり、やはり自分には俳句よりも短歌かなあ、それに学校で子どもたちに書かせるのなら短歌の方が、と考えていた。
 そんなこともあり、前任校である程度続けて子どもたちに短歌づくりを奨めた経緯がある。担任でない哀しさもあり、まとまったものにはならなかったが、掲示用として子どもたちの歌をパソコンに打ち込んだので、かなりストックがある。

 さて、今日はその前任校の閉校式である。
 三年間のそれなりの想いもある。
 その心に沿って、歌を詠むべきか。それとも久しぶりに一発芸に挑戦してみるか。

 自分へのこだわりが捨てきれるわけはない。
 しかしまた自分のちっぽけさに向き合っていることも確かである。