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「愉しむ」は生活を幸せにするか

2011年02月15日 | 雑記帳
 著名な付属小学校の国語科の研究テーマが気になった。。

 言葉と向き合い、愉しむ子の育成

 「愉しむ」におやっと思う。当然意図があるのだろう。

 「たのしむ」と読むことは知っていたが、自分で書いた記憶がない文字である。「愉快」「愉悦」程度の熟語なら知っている。が、そんなに違いがあるのだろうか。
 冊子は下部にこう記している。

 「たのしむ」を「楽しむ」と書くのが一般的であるが、あえて「生活を幸せにする」という意味を含む「愉しむ」という漢字にしたのには、次のような意図がある。

 ここから先に進む問題ではなく、「愉しむ」に「生活を幸せにする」という意味が含まれるかどうか、その検討が大切だ。
 電子辞書に入っている二種類の国語辞典、類語辞典、漢和辞典などをあたってみるが、どうもしっくりこない。
 ネット上にも「楽しむと愉しむの違い」について何度か問題になっているようだ。
 一番最近のものにはこんな内容になっている。
 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6310708.html

 結局、厳密な違いは認められないと言っていいだろう。
 だとすれば、この言葉の遣い手がどのような意図を持って、「愉」の意味に接するかということなのだと思う。

 字源的にたどると二つの説がある。
 「忄(こころ)」はそのままだが、「兪(旧字体)」は「刃物でくりぬいて丸木舟をつくること」と「手術刀で患部の膿血をとること」という説に分かれている。
 結果その意味としては「わだかまりがとれて、たのしい」「病気、傷が治って心安らぐ」ということにつながるらしい。

 結びつければ「生活を幸せにする」と言えなくもない。つまりは「克服系」と呼んでもいいだろうか。
 その意味ではじっくり取り組む姿なので、一般的な「楽」の使われ方の代表とも言える「楽(ラク)」と対比させれば、一層強調されることになる。
 そうすればテーマとして掲げた意図は明確だ。

 イメージを対比させれば、地味と派手、静的と動的、内面と外面、絵画的と音楽的…などということもできるか。
 そのあたりで遣い方が決まってくる。

 こんなふうに言葉とじゃれあってみることも、私の密かな愉しみである…ああ、初めての使用感である。

 0.5ミリほどは幸せになったか。