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2か3か、その意味を考えてみる

2011年10月28日 | 雑記帳
 タスマニアの原住民は、「1、2、たくさん」と数えるといった話をどこかで聞いた気がする。
 かくのごとく、2と3の間には大きな隔たりがあるのではないか、そんな仮定を立ててみる。

 今日参加した研究会で、指導案や授業を見ながらそんなことを考えていた。
 当初の案では3枚の写真提示が、2枚と変更になっていたことがきっかけだ。

 授業そのものはとてもテンポよくスムーズに進み、提示された写真選定にも仕掛けがあり、行き届いた活動だったと思う。
 授業者自身があまりに順調に進んだことに少し面食らったといった感想をもらしていたが、ゲストとして招いた新聞社の方の話を十分聞けたことも意義が大きいと思う。
 その意味では納得の提案授業だった。

 別プランを創りあげる、また汎用性のある授業構成という方向で、2と3にこだわって少し思いつきを記してみたい。

 授業は「記事本文に合う写真を選ぶ」活動だった。
 ここでは事前に説明的文章『アップとルーズで伝える』を学習している。基礎的知識は前提としてあるとみてよい。

 そこで3枚の写真を提示するときのパターンがいくつか考えられよう。
 つまり「○(ぴったり)」を一つと限定すれば、「○、△、×」「○、△、△」「○、×、×」となる。
 
 これらのどれを選ぶかによって、学習過程が異なってくるが、一般的は「○、△、×」となるだろう。
 とすると、まず「○、△、×」→「○、△」という絞込みの活動が入ってくる。ここで第一段階の合意、知識の活用が出てくると考えられるのである。そのステップを踏むことには一定の有効性があるだろう。

 では初めから2枚ではどうなるか。
 これは「○、△」と意図的に提示したとしても、受けとめ方としては「○、×」という印象がずっと強くなるのではないか。
 ただ時間的な余裕によって、検討が深められる可能性は大きいだろう。「比較」へダイレクトに持ち込もうとする場合は有効だ。
 また全体としてある程度知識が定着している集団であれば、○と×の幅をとらえて話し合うことも可能だろう。今日の場合もそれに当てはまるように思う。
 
 「情報の選択」が分科会の大きな視点の一つであるが、情報というものは相対的であり、その提示の有効性は数によってかなり左右されるのではないか。
 また、複眼的、多面的な思考を要求されるようになると、「○×」でなく「○☆」、「○△×」といった類型でなく「◇□▽」といった方向であろうし、そういう授業開発と内容配列はもっと推進されるべきだろうなと考えた。