すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

分かりやすく、分かれ目だった

2011年10月15日 | 雑記帳
 再放送
 「北の国から」
 見ています


 上條晴夫先生の模擬授業における一つの定番「五七五作文」の、二つ目の問い「テレビ番組では何が好きですか」に、そう答えた。

 BSフジで、初回シリーズが三ヶ月ほど前から放送されている。
 かつて「北の国からフリーク」を自称していたが、実をあかせば、この肝心の初回シリーズは最初から見ていない。
 昭和55年秋からの放送である。

 それは初任地の教員住宅で、僕が二度目の冬を迎えようとしたときだった(ここは純くんのナレーター風で)。

 そういう時期であり、へき地二級地の小中併設校でドラマと似たような暮らし?をしていた自分は、見逃していたわけだ。
 その後のシリーズでドラマの流れの大体は理解していたが、改めてじっくりみると、当時の風俗は実に面白いし、倉本總がなぜこのドラマを書き始めたかもダイレクトに伝わってくるような気がした。

 このシリーズの前半部で存在感を感じさせてくれるのは、なんといっても大友柳太郎だ。
 「笠松のじいさん」役は、北国の貧しい田舎の象徴のようにも思う。貧困のなかでなんとか生活の場を切り拓き、徐々に便利になっていく日々。年老いていくに従って偏屈さを増すのは人の常だが、厳しい現実の中で働いてこなければならなかった屈折した感情が、心を覆っている。だから、表面的な付き合いを上手くこなすことができないのだ。

 昔はこんな年寄りがいっぱいいたなあ…自分に近い何人かの顔が思い浮かぶ。

 「なぜ、電気を引かん」とじいさんが五郎に詰め寄るシーンは、自分たちが求めてきたものを根底から覆されることへの驚きだ。
 そして「馬」への愛着と別れは、人間と自然との関係そのものと言っても過言ではないだろう。

 分かりやすいシンプルなドラマだと思ってしまう。
 また、そういう時代だった。
 そして、そのあたりが分かれ目だったとも思う。