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「つつ」の時代に乗り遅れ感

2011年10月29日 | 雑記帳
 昨日参加した研究会の要項を見ていたら、ちょっと気になる文言があった。

 小・中学校を通した情報活用能力の育成を目指し、コンピュータや情報通信ネットワークなどの操作を習得しつつ、課題や目的に応じ適切な活用ができる子どもの育成と、情報モラルやルールを身につけつつ他の人とよりよくコミュニケーションできる子どもの育成を考える

 この内容に異議があるわけでない。
 一文に「つつ」が二度も使われていると、どうも文章の流れとして不自然な感じがするなあ、とふと思った。

 もちろん前段と後段二つのねらいがあるので、文法的に変ではないのだが、そう思いつつ、この「しつつ」「つつ」は「しながら」とか「して」に換えてもいいんじゃないか、どうして「つつ」なのだろうと疑問が湧いてきた。
(こういう肝心でないところに目がいくのきは悪い癖だなと思いつつ、つい電子辞書に手を伸ばす私)

 広辞苑にはいくつかの意味が記されていたが、この場合は次の二つが該当するかと拾ってみる。

 ②動作が継続または進行中である意を表す
 ⑤前を済ませて、続けて次をする意を表す


 そうか、と思う。
 ここで使われる「つつ」は②の意味であり、「しながら」で代用はできるが「して」に換えてはいけないのである。

 「操作を習得して・・・・適切な活用ができる」も「モラルやルールを身につけて・・・・コミュニケーションできる」も変ではない。
 しかし今、情報に関わることは日進月歩であり、常に流動的で拡散的な方向にある。
 そう考えると、段階的に習得することの意義は従来より低くなっているし、学び続ける姿勢こそがより重要だということだろう。
 
 目的を見失わないことはとても大切だ。しかし、手段となる情報網の広がりや機器への対応に、常にアンテナを張っていくことを目指している教育研究分野であることを、今さらながらに確認する。

 これはもしかしたら、情報に関わることだけではないかもしれないが、一番先端的に示されていることは確かだろう。

 「つつ」の時代に入った。
 いや、もうとうに入っているのだろうが、あえてそう口にしてみると、自分の乗り遅れ感が気になってくる。