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言葉との距離に敏感になる

2011年10月05日 | 読書
 けして都会に住みたいと考えているわけではないが、都会生活者が羨ましいと思うときが何度かある。
 その一つは、東京辺りに住んでいたら演劇や落語をいつでも気軽に観られるだろうなあという思い(幻想かもしれないが)が湧いてくるときだ。

 『名セリフ!』(鴻上尚史 ちくま文庫)

 その思いが益々つのってしまうような本だ。
 芝居などをみるのは好きだが、けして詳しいわけではないので、解説の恩田睦が書くように「戯曲の入門書としてこの上ない」本書は、ぴたりとはまった気がする。

 名セリフを名セリフとして意識できることは、それなりの観劇キャリアが必要なわけだが、そうでない者にとっても楽しめる内容だった。
 しかし知識や経験があれば、もっとびしびしと伝わってくるだろうなあと、口惜しさを捨てきれないのは、それも内容が魅力的からこそだろう。

 俳優論に触れている部分があり、こんなことが記されている。

 言葉に敏感な人とは、つまりは、言葉と自分自身の距離に敏感な人のことです。

 うまい俳優は、「言葉との距離」に敏感な俳優だという。どんな言葉もきちんと「喋れる」俳優などいるわけがなく、名優とはその距離を敏感に感じ取る俳優だというのだ。
 実に深い気がする。
 平凡と思っていた俳優が名演技を見せた時のことや、役者のタイプなどについてもちょっと考えさせられる。


 さて、「言葉との距離に敏感になる」ことは、教育の仕事にとっても大切なことではないか。
 具体と抽象、建前と本音、理想と現実、目的と行動…すべてが二分化された世界とは言わないが、教育現場にあふれる言葉を拾い上げてみたとき、鈍感にそれらを発していないかと反省させられる。

 また、言葉の遣い手を育てることは、学校教育の大きな目標の一つと言える。そのまま教師自身に当てはめてみれば、どのくらい達成できているのか、つまり敏感になれているか。内なる検証は必要なのである。

 著者はその方法についても語っている。

 観察と試行錯誤。