すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

その名づけが浸食する

2019年02月05日 | 雑記帳
 アラサーやアラフォーという語が流行ってから、もう10年以上が経つ。今はあまり聞かなくなったとはいえ、派生してアラフィフとかアラカンなども出来たからインパクトはあった。しかし結局、そもそもが「商品購買層」という括りであり、対象が移りゆくとその語は使い捨てられるのが自然だ。名づけとは儚い。


 クイズバラエティを見ていたら「ジャパウ」という言葉が問題に出され、選択肢を見て、ああ雪のことかと思った。「ジャパン・パウダースノー」…我が秋田県では縁遠いが、サラサラの雪が外国人ボーダーやスキーヤーにウケるということで観光資源になっているらしい。縁遠いことではあるが、上手なネーミングだ。


 雑誌を見ていたら、有名なラーメンチェーン店「天下一品」の記事があった。あの店は当然「こってり」が中心だが、「あっさり」もある。そしてなんと、そのハーフ&ハーフ?もあるのだと!その名前は「こっさり」。あまりの混ぜ方に笑ってしまった。中間や普通、レギュラーとは言わないのは、発想が違うからだ。


 名付けに関して考えるのは面白い。そう言えば市町村合併が盛んに進められていた頃、一番白熱していたのは合併後の新市町名だった。学校を統合する場合についても同様だ。そこでは、ずっと親しんできた名前への愛着が、大げさに言えばアイデンティティと重なっていた。しかし、上に書いたような名づけは別だ。


 つまりアラフォー等は「標的」としてある。ねらいを定めるための名づけだろう。また、ジャパウやこっさり等は「釣り餌」のように考えられているのだと思う。語として流行らせアピールしていくために名づける。否定するわけではないが、それらの浸透、浸食によって個の主体性が崩されやすくなる一面もある。