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「男は黙って」もはや彼方

2019年02月01日 | 読書
 自分があまり「おいしい」と言わない人間だと気づいたのは、結婚してしばらく経ってからだ。家人に指摘された。育ちに問題があったからだろう。受け持っていた子どもの保護者から、「先生は本当においしそうに食べる人だなあ」と言われた経験はある。けれども、食に関するコミュニケーション能力は低かった。


Volume.141

 「『おいしい』は共感だからです。『おいしい』は、口に入れて味蕾で感じる味覚的な感覚表現と捉えがちですが、その味覚で感じるおいしさとは別に、共感という活きを持っているのです。」


 グルメ番組で感想を言うとき、言葉が見つからなくとも「とりあえず『おいしい』で逃げられます」と土井善晴は語り、その訳を上のように書いている。それは表層的で習慣的で便利な言葉だけれども、何故よく使われるかを考えると、実はコミュニケーションに行き着くのである。当たり前のようでいて大切なことだ。


 つまり料理とて一つの表現であり、その表現に対して受け手(食べ手)が讃えることに価値が生ずるわけである。食レポの番組は数多くありその表現の巧拙が言われることも多い。映像的な問題とも言えそうだが、いくら言葉を尽くしても伝わらない人もいて、それは結局、作り手への敬意の見せ方の差かなと気づく。


 しかし世の中、作り手の見えない「食べ物」が日に日に増えていて、いくら「おいしい」と口にしても、伝わるべき人に届かない現状もある。距離が離れていることは幸せとは言えないだろう。ともあれ目の前に料理人がいる時はコミュニケーションをとろう。「男は黙って…」の時代は、もはや彼方の彼方なのだから。