すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

そんなオマエにがっかりだよ!

2019年02月14日 | 雑記帳
 議員や首長の失言・放言問題は、いまや日常茶飯事のように報道でこぞって取り上げられるので、食傷気味で関心がわかなくなった。ただ、今回の五輪相の発言は「がっかり」が大きく取り上げられて、一言の重みを感じてしまう。このごく普通の擬態語でも、使い方を誤るとこんなふうに騒がれるという典型だろう。


 「自分にがっかりする」はやや特別な言い回しで、「がっかり」する対象は他者を指すことが本来の使い方になる。従って今回の大臣の落胆・失望は池江選手に向けられたものだ。何に対する「がっかり」かと言えば、選手本人が病気になったことにより、五輪活躍の可能性が減ることを指していたように受け取られた。


 ただ、今回の白血病報道を初めて聞いたとき、心の中で同じニュアンスでがっかりと少しも思わなかったか、というと自分には一瞬あったと認めざるを得ない。身内や知り合いだったらそんなことはないだろうが、活躍の姿を見ているだけの者としてはごく自然に湧き上がった。もちろん、表出するには憚られる感情だ。


 まして政治家であれば、言葉を選ぶことこそ最重要とされる資質なのだから、責められてしかるべきである。他者に対して「がっかり」と言えるとすれば、それは与えられた条件下での頑張りや工夫などが足りないと評価するときだ。天変地異や病気等について用いる語ではない。他者への想像力がコントロールする。


 久しぶりに『擬音・擬態語辞典』(講談社)を引いてみた。見出しに書かれている意味は「予想や期待が外れて落胆した様子」と普通だが、添えられた例文が「派閥順送りの大臣心待ち組はがっかりしただろうが」(朝日新聞00.12.6)とあり笑ってしまった。そんなことを繰り返してきた方々には、想像力は期待できない。