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幸福も不幸もすべては

2019年11月08日 | 読書
 10年ほど前だったか、友人を前に「もっと我がままに生きることにした」と小さな宣言をしたことがある。その意識は短期間続いたように思うが、やはり気になる他人の目。しかし、時々自分に問いかける幸福論は、そこに囚われている限りどうにもならないと収めてはいるのだが…。かの作家、橘玲の言葉はキツイ。


Vol.181
 「これからの時代に重要なのは、『評判』だと私は考えている。徹底的に社会化された動物である人間にとって、幸福も不幸もすべては評判=他者からの評価で決まる。」


 さすがに、「言ってはいけない 残酷な真実」の著者である。人を不愉快にさせる言い回しには長けている。もちろんなぜ不愉快かと言えば、それは真実の指摘にほかならないからだ。「ゆえに貴重 ゆえに必読」と書いた読書メモも懐かしい。「評判を気にするな」は精神論であって、現実社会ではベクトルは逆なのだから。


 ネット社会が進んで、自分もこのようにブログやFBなどを使っている。その行為は、結局「評判」を求めていることに違いないのだろう。コメントや「いいね」が少なくとも、アクセスが増えればそれなりに嬉しい感情はわくし、その価値判断は個々によって異なるが、突き詰めれば利用者は皆、評判を求めている。


 ただ、評判を築く「他者」をどのように設定するのか、そこが一番肝心なのではないか。自分ならまず家族であり隣人であり、古くからの友人、敬愛できる知己が挙がる。その意味でネットの有効性は限定的だ。可視化された評判は重要だが、それに左右され振り回される心であっては、幸せはいつも振り落とされる。