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40年経過、もしもしの現状

2019年11月22日 | 雑記帳
 NHKで「もしもし革命」とテーマを掲げた放送があった。すぐに電話だとはわかる。この「オールドメディア」に対する動きが多様に見られるという内容だ。「革命」と呼べるほどかどうかはわからないが、ネットの日常化、AIの進展という状況を考えるとき、電話という手段については、あれこれ考えさせられる。


 今は昔(笑)、私が勤めたへき地の学校で初任の時に「電話のかけ方」という学級活動(当時は学級指導といった)を研究授業として行ったことがある。その地域は、前年に電話の自動化(ダイヤルで直接つながる)がなったばかりだった。取り上げた発想は評価していただいたが、指導主事からこう助言された記憶がある。

 「電話とは、簡潔に用件を話す道具である」

 国語教師でもあるゆえ、当時は納得したものだった。しかし時代は凄まじく変化した。若者たちは家庭の固定電話を使って「深夜の長電話」に興じていた。それからほどなく、ポケベル、PHS、携帯電話…が押し寄せてきた。それらの状況については語るべくもない。今は公衆電話をかけられない者も散見されるという。


 メール、SNS全盛となり、AIを導入した機器が家庭にも浸透しつつある。こうした中、コールセンターという名称が一般的であるように、まだ需要はあり、それを企業イメージの最先端の一つとして考えている例もあった。そのための電話応対の見事さなど、コミュニケーション技能として深く納得させられた。


 解説にもあったが電話とメール等の違いは一言でいうと「感情」(の乗せ方)に尽きるかもしれない。ビジネスでのやり取りでは、それをどう捉えるか、業種によっても企業理念によっても違いがでる。声の持つ力、そして声同士の応対にある良さ、難しさ…振り込め詐欺は上手な?活用法と気づく。こんな現状となる。

 「電話とは、感情を表現しやすい道具である」