すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

コトバを一つ手前から考える

2019年11月24日 | 雑記帳
 「うっちゃり」…大相撲で久々にこの決まり手を観た。小さい頃は土俵際でよくこの逆転劇があったものだ。この技をうつ力士の身体もしなやかな感じがして、格好良かった。最近の関取の体型ではなかなか無理なのだろう。体重を増やし多量の肉を纏ってぶつかり合う傾向が強い。現実社会とも連動しているようだ。


 「当たり前」…少し前から「当たり前のことを当たり前にする」が学校でも強調されてきたように思う。それは「当たり前のこと」が揺らいできた証拠でもある。しかしこれは「普通」という意味の下に画一化を図りたい意図もあったのではないか。本当の当たり前とはおそらく目に見える事物でなくその精神を言う。


 「こども」…自分の作成した書類が「子ども」と「こども」に分かれていることを指摘され、今さらながら自分のアバウトさに呆れる。ふと手にした雑誌で、司馬遼太郎が「コドモ」とカタカナ書きしている文章に出会った。この意味づけは何か。「幼稚⇒非常識、新鮮」という解釈か。そこに堅固な精神の響きを感じる。


 「意思決定支援」…TVで都内病院に「意思決定支援外来」という科があることを知った。心療内科ではなく、癌宣告患者に対するケアだった。ちなみに辞書に載っているのは、コンピュータシステム(DSS)。治療計画支援はAI活用では無理だろうなとふと思う。感情に寄り添う意思決定は、人の間にしか生まれない