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八段目、美を求めて歩く

2019年11月26日 | 読書
 『美学』という語を調べると、まず「審美学」といわれたもともとの「美の本質や構造を解明する学問」という意味がある。しかし私達がふだんよく目にする美学は、もう一つの「美についての独特の価値観」(明鏡国語辞典)と解されるだろう。この新書も全くそれであり、著者は「実際的な知恵」とも書いている。


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 『老人の美学』(筒井康隆  新潮社)


 この題名からイメージしたことを一つ。「美」の対語としてど真ん中に「老」があるわけではないが、なんとなく雰囲気はある。対語は「醜」であり、老が醜になりやすいことが留意点なのだろう。著者はかつて『銀齢の果て』という小説を書いていて、私も読んだ記憶がある。それは老人版バトルロワイヤルだった。


 「銀齢」とは造語で「銀嶺」から派生させたのだろうが、いい響きである。その場にすくっと立っていられる老齢でありたい。そう願いつつ読むと、心の持ち方のヒントが多様に紹介されている。まず森毅との対談における説「人生忠臣蔵」が面白い。「すべての物ごとの変化の自乗は時間と共に累積する」理論である。


 人生の区切り年齢を、1、4、9、16…と二乗してできる数におく。36歳までが「自分のスタイルを作る時期」、「努力が花開き評価される」のは49歳。その後64歳までは「事件や不始末があった時に頭を下げる役」だというのだ。これらは忠臣蔵の設定と重なり合う。なるほどと笑うしかない63歳の自分である。


 そして、以降81歳までが「老人としての自由をつくり謳歌する時代」だという。忠臣蔵で言えば「山科閑居」。なんと希望の湧く話だろう。しかし、重いのは「累積」していくという設定だ。誰しも過去があり、そこに続く今がある。貫かれている現実の受け止め方に「美」を求めたい。毎朝、新たに道は続いている。