すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

重箱の隅を見つめていた頃

2020年09月05日 | 教育ノート
 驚いた。そしてちょっぴり嬉しくもあった。調べる事柄があり閉架書庫へ入った。以前の職員録を見つけ出し必要な資料を出そうとした時、その背表紙に目がいった。「あくと」と手書きで記されている。これはもしや…と思い、取り出すと案の定かつてのサークルの冊子である。日付は1990.3.28。30年前の集約だった。



 「あくと 第5集」と表紙にはある。開くと目次、そしてメンバー10名の名前が記されていた。このうち半数は既に退職している。来春、その齢を迎える人も3人いる。この冊子自体は当然自宅にもあるので何度か目にしているが、公的な場でしかもバーコード貼り付けできちんと所蔵されていることが誇らしかった。


 当時、館長をなさっていた田口恭雄先生にはずいぶんとお世話になった。サークル全員で授業する詩の選定をお願いしたり、実践集約への感想等もいただいたりした。そんな関係で冊子を何年か続けて送付した。一冊ではあったが、こんな形で残してくださったのだなあと、今さらながら感謝の気持ちが湧いてくる。


 三十代半ば、普通なら生意気盛りを脱してもいい時期だが、ずいぶんと尖がった文章を書いていた。今読み直すとその粗さが恥ずかしい。職場でストップモーション方式による授業研究を年間通じて実施した年度だった。近隣サークルと合同研修会も立ち上げた。「重箱の隅をつつく奴」と某女性教師に非難された頃か。


 「オレがオレが」という性格ではないのだが、足並みを揃えることが美徳の本県で異質と見られたのは確かだった。それゆえか仲間を増やしたいと願っていたことは、この集約の「あとがき」の次!のページによく表れていた。冊子を贈った方々へ対して、なんと「挑戦!」と名づけた問いかけをしているではないか。
 つづく