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またウルガシテしまったか

2020年09月03日 | 雑記帳
 先週末に隣市で行われた「秋田弁で地方活性化させよう」というセミナーに参加した。少人数ではあったが、その分フリートークもあってのんびりと楽しませてもらった。県内各地による方言の違いは、以前からよく感じていたことだが、講師の紹介する秋田弁にも馴染みのない語があり、それもまた興味深く聴いた。



 最近あまり使っていないなあと思わされた方言の一つに「うるがす」がある。これは「水に浸しておく」という直接的な意味の他に、「物事の進行を放っておく」という場合にもよく用いられた。この言葉が使われなくなったのは、スピード化、効率化の進む世の中と無関係ではないと改めて感じた。仕方ないことか。


 いや、語が使われなくなるという状況は、そこにあった精神が失われつつあるという意味合いを持つだろう。「うるがす」は表面的にはあまりいい行為にとられないようだが、実は水に浸す場合には、馴染ませたり柔らかくしたりする作用がある。物事の進行においても一息つき考えを深める側面があるのは確かだろう。


 食品でいえば技術的な進歩で「うるがす」必要のないものが大幅に増えた。様々な仕事上の事柄も共通するかもしれない。しかし、「スピード感をもって」が常套句のように使われる時代に、失われつつある「待つ」時間のなかにも豊かさがあるとは言えないか。「待つ=ストレス」の感覚が強くなったのはいつ頃だったか。


 と、ここまでだらだらキーボードを打ちつつ、そういえば以前も書きつけたことを思い出す。「ウルカス」は方言であるが、由緒正しい語源を持っていた。それを忘れるぐらい、頭脳をまたウルガシタままだったか。

 →ウルガシテおいたこと