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今もわかろうとしているか

2020年09月14日 | 読書
 内容はほとんど覚えていないが読んだ記憶はある。多分文庫化する前だから、担任を外されたころか。その当時の自分がどんな気持ちで読み通したか、全然想像できない。中身はまさに『教育問題』だし、学校教員を初め当事者たる大人の大半にとっては、読んでいて気分がよくなる類の本ではない。ため息も出る。


 『大人問題』(五味太郎 講談社文庫)


 つまりは「言いたいことはわかるけど、現実はね…」と言いたくなる。そしてその原因や理由を自分とは違うどこかに求めたくなる。しかし、一つ高みに立てば結局は自らもその一員であることは明白。なのに実際に行動できるかと言えば、ムリムリ…そういう気持ちに苛まれる。ただ、拾い上げるべき核心は正しい。



 最終章末尾の文章はこうだ。「大人の充足のために子どもがどの程度役立つか、あるいは使えるかを問うた時代はもう終わりにしていいと思います。」書かれて二十数年経ち、今の「時代」はそこを超えているような気配がする。少子化が進行していることは、私たちの大人のそんな考え方の末路と言ってもよくないか。


 この国は子どものことを考えていない、という言辞がどのくらい浸透しているかわからない。しかし教育予算の比較を見れば、やはりそれは明らかである。社会構造の問題であることも確かで、少なくとも教育現場を柔軟で創造的な空間にする政策は提案すらされない。だから「働き方改革」の感覚のずれも生ずる。


 個人的に「大人問題」とは「自分問題」と「環境問題」の二つに集約できると考えた。その二つは当然関わり合い双方向的に機能する。環境とは自分以外の全てを指すが、特に年少者を意識したい。自然、社会、そして様々なテキスト、メディア…すべて教育だ。その問題に向かう姿勢を端的に表したのが、次の言葉だ。

「(教育の成立に)いちばん必要なのは『わかっている人』ではなくて、現役でやっている人、つまり今でも『わかろうとしている人』です。」