すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

その青虫の生はどちらだったか

2020年09月09日 | 雑記帳
 いつものように湯沸かし用のやかんに水を入れようと蓋をとったら、なんとその縁に小さな青虫が…。えっ、どうして?台所の床に置いてあったやかんなので、傍に置いた親戚からの野菜にくっついていたのが場所移動したか。青虫とてこの暑さでは野菜に潜り込むだろうし、屋内に来て活動再開する気持ちもわかる。


 屋外へ出すのは忍びない気持ちもするが、このまま飼って羽ばたく姿まで見届けることはできないからね、辛抱してねと外へ放してやる。人間様はエアコンの効いた室内でなんとか過ごせるが、動植物たちは一体どう過ごすのか。むろん心配無用の事であり、そんなふうに自然淘汰は繰り返されてきたのかもしれない。



 大きく見れば人類もその循環のなかにいる。人間がいかにちっぽけな存在なのか分かる自分が、比較対象をどう設定しているかと言えば、途方もない世界を思い描いていることが不思議でならない。一匹の青虫にはおそらくそんな思考はないし言語化もない。そう考えると笑えるほど限りない無駄をまき散らしている。


 こんな詮無いことをぐたぐた考えているのは暑さのせいか。昨日は地域の高校の家庭科(保育)の授業に招かれた。昨年に引き続き、絵本の読み聞かせ実演とグループ指導等を行う。発表場面になると恥ずかしさを出す年代だが、絵本を選ぶときには自らの思いを重ねたはずだ。それを確かめるように少し助言した。


 名作『百万回生きたねこ』を取り上げた班もあった。幼い子相手では難しい話だが筋に触れることはいい。ストーリーに内包されるのは、繰り返された生と完結された生の対比でもある。それは、物語のように過去形でなく、実は誰にとっても現在進行形だ。今日は重陽の節句。菊酒飲まずとも長寿を願い災難を払え!