すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

爺バカモードの絵本読み

2020年09月21日 | 雑記帳
 先週、図書館主催の「読み聞かせワークショップ」にいらした講師の先生が配布した資料を見直したら、「高等学校家庭科・児童文化テキスト」という文科省編集の抜粋があって、ふだんならスルーしそうな箇所だが思わず読み入ってしまった。学校だけでなく、家庭での読み聞かせの機会が日増しに増えているからか。

 次の五項目が記されていた。

1 絵本はおとなが子どもと一緒に楽しむ本
2 ページを操ることによってストーリーは展開する
3 絵本は繰り返し読まれるもの
4 子どもはおとなの語りを記憶する
5 絵本の世界は表紙から始まり裏表紙まで続く


 学校でのいわゆる「読み聞かせ会」にも、家庭内での個別の読み聞かせにも共通するのは、1,2,5の点だろう。3,4はやはりどうしても家庭中心だ。その区分に留意してみると、単発で学校を訪問して行う場合など工夫する要素が見えてくるのかもしれない。その点を掘り起こしておくと参考になるだろう。


 いずれにしても1が基本となる。その項には「子どもが親しみや信頼を寄せる人に絵本を読んでもらうことは、物語やことばの意味や価値を一人で読むときとは大きく変え、大きな喜びや重みを与える」とある。絵本の世界を「共有」するねらいである。だからゲストとして行う時の導入に気を遣わなければならない。


 2、5については「知識・技能」が必要だ。ワークショップ内でも触れられた通り、本にはめくる順序の基本があり、それに沿うこと。そして下読みを通して読み取った部分で、強調したい点を考えて「めくり」の技を使うこと。これらは練習と一定の慣れが必要だと思う。表現する側として課せられている点だ。



 さて、上の事柄以上に3,4をつくづく感じているこの頃。もうすぐ3歳になる男児、そして1歳二か月のこれまた男児。週に何度か絵本と戯れる日がある。下の子であっても、既にお気に入りの場面があることが見てとれる。自分からその本を持って寄ってくる時などは、本当に「爺バカ」モードに突入する。


 もちろん飽きて本を放ったりする時もあるが、その時間も含め「共有」なのだろう。このまま続けていれば「読んでもらったお話が、語りの記憶として子どもに受容された状態」がやってくるかもしれないなあ。仕事にかまけ、昔子育て中には我が娘たちに十分してやれなかったことを、ささやかに出来る幸せがある。