すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

日本人はこう出来ている

2020年09月01日 | 読書
 今世間で起こっている様々な事象の訳が、浮かび上がってくるような一冊だったので、もう一度。

 『日本語 表と裏』(森本哲郎 新潮文庫)に書かれた卓見には恐れ入る。例えば、冒頭「日本人の身体のなかには虫が棲んでいるらしい」と始まった「虫がいい」の章は、フロイトの論まで登場させ、その無意識の領域にある「何か」をあぶりだす。「虫の居どころ」「腹の虫が納まらない」「虫唾が走る」「虫の知らせ」…


 それだけでなく、「弱虫」「泣き虫」さらには「本の虫」や「芸の虫」という言い方もする。問題は、そうした人間の根源的な実態を何故「虫」で表現したか。著者は、古事記の一節も引用しつつ、「自分の意志でどうにもならない精神や生の本能」を、虫という恐ろしく気味の悪いものにある神秘性に込めたと解釈する。



 「虫」と共通するのは「」という語であり、これは中国からの輸入であったが、非常に幅を利かせている語だ。「気のせい」の章では、膨大かつ多様にある「気」の慣用句や単語を並べながら、気は「心」と重なってないとし、もっと奥底にあり「心自体を操作している」ものと語る。言われるとそんな気になる(笑)


 この著のなかで最も印象的な一節は、先日書いた「いい加減」に通ずるが、「まあまあ」の章にある。数多くの識者が指摘する「日本人論」を総括しているように読んだ。海に囲まれているこの島国に住む日本民族が、なぜ「海洋民族」にならなかったか。これは根本的な日本人気質を考えるうえで、非常に重要な点だ。


 先月亡くなった山崎正和氏は「海岸民族」と評したらしい。海へ乗り出さず、快適な国土の中で生活を育んだ。敵との争いはあったが何らかの形で妥協し、共存する道を探った。「和」を保つために「分に安んじる」発想が沁み付き、その結果、うまくいく明日を期待しつつ、思うようにならない今日もまた知っている。