すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

たとえは観察力、抽出力で

2020年09月12日 | 読書
 『たとえる技術』(せきしろ  新潮文庫)

 「想像力のトレーニング」としての「たとえ」は、ナンセンスの面白さがある。
 道に片方だけの手袋が落ちていて、当然「落し物」だと予想されるが、それは100%とは言えない。残った10%の部分に想像の余地がある。それを利用していろいろと頭を巡らしている。著者は、このような例をどんどん挙げていく。

 決闘が行われた跡
 帰り道がわかるように置いてある
 場所取りで置いてある
 もしかしたらオブジェ
 ・・・・・




 先日、FB上に「峠道にある湧水の側のベンチに置かれた眼鏡」に心当たりのある人はいませんか、という告知が出た。95%以上「忘れ物」と思われるし、親切心の広がりで、もし持ち主がわかったら嬉しいことだ。しかし「たとえる技術」本の読者は、その写真をみてしまうとトレーニングとして使ってみたくなる。

 湧水を飲んだら、とたんに視力が回復したので置いてった
 水のきれいさを見てほしいための道具として置いてある
 宇宙人が置いた罠
 事件があって、眼鏡だけが残されている
 もしかしたらオブジェ
 ・・・・・・

 「感情をたとえる」章は、特に味わい深い。感情を表す「ように」「ような」を使ったたとえは常套句化しているので、多様に表現する技術の視点を学べる。「心臓が飛び出すと思ったほど」は驚きでよく使われる?が、その嘘っぽさより具体的事例を挙げたほうが、個性を強調できるということだ。著者の書いた例は…

 浴槽にお湯をはったつもりが水だった時のように驚く
 軽い気持ちでエサをあげたら予想以上の鯉が集まってきた時のように驚く
 オダギリジョーが本名と知った時のように驚く


 「あるある」的な共感が得られるかもしれない。そうでない人にも意外性は与えられるから、コミュニケーションのきっかけにはなるだろう。感情のたとえのための技として、いくつかポイントが示されている。「優しさをたとえるには『かわいそうなぞう』が良い」…つまり、名作を持ってくるのも確かに一つの手だ。


 「寂しい」「悲しい」「後悔」「つまらない」「ありがたい」「信じられない」…いずれも楽しく読める。「有名人を使う」方法の面白さに、なるほどと感心してしまった。「怒り」に対して織田信長、「悔しさ」にはザブングル加藤といった対象を拾いだす観察力、抽出力といった点が凄い。特に唸ったのが次の文例だった。

 高橋秀樹が「越後製菓」と自信満々に言った時のように正解