すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

保護者がお客様であった例はない

2005年09月16日 | 読書
日本の学校は、寺子屋の昔から、地域と保護者の物であった。保護者がお客様であった例の無いことを校長は、日頃から、保護者や教委にも、よく指導しておきたい。
目賀田八郎『学校マネジメント 2005.10』(明治図書)


これは、地方教育委員会の存在とも関わってくる考えである。
社会状況の流れは、いかにも保護者の顧客扱いを後押ししているようだが
保護者には教育に関する「義務」があるし
教育の当事者であることを、もっとアピールしてもいい。
肝心なのは、互いに手をとって責任を全うすることだ。

よほど注意していないとわからないもの

2005年09月15日 | 読書
毎日子どもをていねいに、楽しみながら見ていると、よくわかるようでわからない--それが才能と成長といったものである。これは、よほど注意していないとわからないものであることは、教師はみんな体験している。
有田和正『授業研究21 2005.10』(明治図書)


「才能」とか「成長」は軽々しく断定できない…
とそんな気分が、また自分の仕事を曖昧にしているかもしれない。
その子の才能を見抜き、成長を感じ取ろうとすれば
仕事に「注意深さ」が加わってくる。

秋は、大切なときだから…

2005年09月14日 | 読書
二学期初の書写の時間に、少しだけおしゃべりをしました。
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「秋」という漢字は、どうやってできたと思いますか?

この漢字は、いくつに分かれる?
そう二つだね。「禾へん」と「火」に分かれるね。

じゃあ、まず禾へんは何の形からできたんだろう(図を描く)

これは「あわ」と言って、稲の仲間の作物です。
穂がたれた様子から、禾へんができました。

それでは、なぜ火がついているのかな?
これは、火で焼いてしまうわけではなくて、
火や太陽で作物をかわかすという意味なんだね。

つまり「秋」とは、作物を乾かして収穫するという意味からできたんだね。
実りの秋なんていうことばもあるね。

さて、「秋」は、季節を表す「あき」という意味の他に
もうひとつ意味があるんだよ。

「あき」とにているけど「○き」という意味なんです。なんだと思う?

正解は「とき」です。

しかも、「大切なとき」という意味です。

「秋」は、いろいろな実り…みんなにすれば学習や運動で
力をぐんと伸ばす「大切なとき」なんです。

一日一日を大切に過ごすときとも言えるね

「問題」を提出している子ども

2005年09月13日 | 読書
子どもたちは悩みが深くなるほど、それを言葉で表現することができない。大人から見ると「異常」とか「非行」とか言いたい行動によって、大人に自分の苦悩を訴えているのだ。「問題児」とは大人に「問題」を提出している子どもだ、と言ったときがある。こどもの提出する「問題」を解く努力をしなくては、指導などできないのではないだろうか。
河合隼雄『総合教育技術 2004.8』(小学館)


誰の目にもはっきり見える問題を提示している子もいれば
問題を見せないようにしている子もいるだろう。
問題の解決に積極的に動くことも教師の仕事なら
見えない問題を顕在化させることも大事な仕事だ。

想像と認識と思考

2005年09月12日 | 読書
これからの国語科は、もちろん、詩や小説などの人間の心の機微に分け入る「想像」の情報を学習することも必要であるが、それにも増して、事実や事柄を正確に「認識」して情報として差し出すことができる能力、また不明なこと、解決すべきことなどにつき客観的に根拠や理由を挙げて論証する「思考」の情報を創出する能力を育成することが必要である、と考える。
小林一仁『日本教育 2005.9』(日本教育会)


ふだんはそんなに意識していないことであるが
今行っている活動がどんな力を育てようとしているのか
振り返ってみることは大切である。
国語科に限らず、言語を使っている場面では
およそこの三つと混合型に大別されるはずだ。

人や現実に対応するニューロンが伸びない

2005年09月11日 | 読書
子どもは本当にいろいろな妄想を抱きます。それが現実とぶつかることで「思うようにはいかない」と学ぶものではないでしょうか。少子化の関係と、<愛>が異常にもてはやされるためか、すぐかまう傾向があるでしょ。子どもの時間を様々な「ためになる」スケジュールで埋めたり、傷つかないよう手回ししたり、人や現実に対応するためのニューロンが伸びないですよ。
天童荒太・坂本龍一『少年とアフリカ』(文春文庫)


「小さな親切、大きなお世話」という言い回しがあった。
「小さな親切」で溢れている世の中にあって
教育界もまたそうした意識に染まっていることは疑うべくもない。
初等教育は「予防」という面が強く出されるが
毒や悪や暗さを完全に捨てきっては、力をつけることはできない。

まず「授業の型」に自覚的になる

2005年09月10日 | 読書
「授業の型」は少し意識的に勉強をしないとなかなか身につきにくいといえる。どうしても自分の生徒としての授業体験に影響をされた固定的な「授業の型」になるからである。新しい授業を創るにはまず「授業の型」に自覚的になる必要がある。
上條晴夫・八木正一『超定番!授業づくりの基礎・基本』(学事出版)


自分なりの「授業の型」は確かにある。
しかし、自分で作り出してきたわけではない。
もう少し客観的にスタイルを見直すことで
「広がり」が生まれることは確かだろう。
この単元はこの型で、次はこの型も取り入れて…
とアレンジも加わるだろう。

「矛盾に満ちた事態」を突き破る

2005年09月09日 | 読書
「授業研究栄えて授業が滅ぶ」「教員研修栄えて教師が滅ぶ」「学校改革栄えて学校が滅ぶ」という笑えない事態が進行したのは、いったいなぜなのか。教師と教育行政の関係者と教育研究者は、この矛盾に満ちた現実を直視するところから、新たな学校改革のヴィジョンを模索しなければならない。
佐藤 学『総合教育技術 2004.5』(小学館)


それは、「外側の充実」を図ろうとして
「内側」が希薄になったりしている状態だ。
肝心なことは、内のエネルギーであり
その力が外を形づくっていくような流れを作ることだ。
核は、教室であり、学校であることを忘れてはいけない。

記録を伸ばす教育

2005年09月07日 | 読書
競技の記録を伸ばす教育と、人間を伸ばす教育とは違います。競技の記録を伸ばす教育はかなり特殊で、それはそのまま人間を伸ばす教育にはあてはまらないのです。
有森裕子『総合教育技術 2004.2』(小学館)


記録を伸ばすことは、目標になりえても
教育の目的ではない。
そのことは、繰り返し繰り返し思い起こさないと
すり返られていく危険性を持つような気がする。
見える記録の陰にある、見えない部分を
いつも見ようと努めなければならない。

その都度反省しながら続ける

2005年09月06日 | 読書
随意動作である「言葉をしゃべる」「字を書く」は、耳で聞ける、目で確かめられるので、その都度反省しながら続けていけば、聴衆が聞きやすい話ができるようになるだろうし、相手が読みやすい字が書けるようになるだろう。
宮下充正『日本教育 2005.9』(日本教育会)

からだを動かす動作は三つに分類されるという。
「反射動作」「自動動作」そして「随意動作」
随意動作だけが、目的を意識した動きということになる。
「話す」にしても、「書く」にしてもそこには目的がある。
その目的に達したかどうか、常に反省を繰り返すことで
随意動作の質が決定するといってよい。
動作を向上させるという視点で、日常を振り返ってみると…