新潮社の季刊誌『考える人』は年に一冊か二冊は買っている。
今回は特集が面白そうだったので手にして,この連休中にだらだら楽しく読んだ。
笑いの達人
「笑い」は自分の中でも8番目ほどのテーマである。
かの有田和正先生が,「おかしくて笑うのではない。笑うからおかしいのだ」という理論?で実践なされたことを,「笑いの練習」という形で続けたことも思い出される。
さて,今回の特集は読みごたえがあった。
表紙にもなっている南伸坊の「本人術」をはじめ,南×養老の対談,そしてそれぞれの分野の方々がエッセイ風に綴っている文章もなかなかであった。
なかでも橋秀実が「笑い療法士」「笑いヨガ」をテーマにルポしたものが面白かった。
ここでの印象を括ってしまうと,この言葉となる。
笑い散らす
人類学者の山極寿一の書いている「ゴリラが笑うとき」という論考も興味深い。
「サルの笑い」ということは以前どこかで読んだ気がする。敵意のなさを示すサインとしてとらえられているが,チンパンジーやゴリラはまた違う笑いも身につけているという。
「遊びの笑い」…楽しさを相手に提案していく行動である。
つまり,この動詞のなかに大きな意味がある。
笑いかける
もっとも印象的な「笑い」は作家高野秀行の書いた「彼女たちの矜持」というエッセイ。昨年の4月に南三陸の町を訪れ,現地に在住しているフィリピン女性たちの様子を書いたものである。
その明るさについて驚いているが,なかでも「アメリアさん」なる女性の言葉には私も思わず,絶句するほど?笑ってしまった。
その中身はあえて書かないが,いうなれば一番強いことばである。
笑いとばす
数々の笑いの達人の姿を見せられて,自分のなかでも「笑い」は3番目ぐらいのテーマにランクアップした。
今回は特集が面白そうだったので手にして,この連休中にだらだら楽しく読んだ。
笑いの達人
「笑い」は自分の中でも8番目ほどのテーマである。
かの有田和正先生が,「おかしくて笑うのではない。笑うからおかしいのだ」という理論?で実践なされたことを,「笑いの練習」という形で続けたことも思い出される。
さて,今回の特集は読みごたえがあった。
表紙にもなっている南伸坊の「本人術」をはじめ,南×養老の対談,そしてそれぞれの分野の方々がエッセイ風に綴っている文章もなかなかであった。
なかでも橋秀実が「笑い療法士」「笑いヨガ」をテーマにルポしたものが面白かった。
ここでの印象を括ってしまうと,この言葉となる。
笑い散らす
人類学者の山極寿一の書いている「ゴリラが笑うとき」という論考も興味深い。
「サルの笑い」ということは以前どこかで読んだ気がする。敵意のなさを示すサインとしてとらえられているが,チンパンジーやゴリラはまた違う笑いも身につけているという。
「遊びの笑い」…楽しさを相手に提案していく行動である。
つまり,この動詞のなかに大きな意味がある。
笑いかける
もっとも印象的な「笑い」は作家高野秀行の書いた「彼女たちの矜持」というエッセイ。昨年の4月に南三陸の町を訪れ,現地に在住しているフィリピン女性たちの様子を書いたものである。
その明るさについて驚いているが,なかでも「アメリアさん」なる女性の言葉には私も思わず,絶句するほど?笑ってしまった。
その中身はあえて書かないが,いうなれば一番強いことばである。
笑いとばす
数々の笑いの達人の姿を見せられて,自分のなかでも「笑い」は3番目ぐらいのテーマにランクアップした。