この一ヶ月ぐらい、次の研究費申請書の第一ページ目の推敲を延々と繰り返しています。もう何十回書き直したかわかりませんが、まだまだ最終稿にはほど遠いです。この最初の一ページは量的には申請書の研究計画部分の1割にも満たないのですが、重要さでは申請書の九割以上を占めます。つまり、一ページ目がダメだったら、その後をいくら頑張っても、まず挽回のしようがありません。映画で言えば予告編です。予告編で興味をつかみ損ねたら、忙しいお客さん(審査員)はその映画をわざわざ見に映画館にはやってきません。
この1ページでやるべきことは、私の研究分野におけるユニークでかつ重要な問題を指摘し、その解決が如何に重要かを審査員に理解してもらい、そして問題の具体的な解決方法を提案した上で、解決するのに最適の人間が私であることを押し付けがましくないように主張することです。
大変、難しいです。しかも字数制限がありますから、限られた時間(スペース)でのセールストークをしないといけません。学生時代に訪問販売のアルバイトを試しに一日やったことがありますが、そのときにセールスの難しさを実感しました。何より商品が良くないとダメです。しかし、「良いものなら売れるか」と言われるとそういうものではありません。商品はあくまでお客さんのニーズに合うことが第一で、そのニーズに加えて高品質であることが大切です。商品は良くても売れないものはいっぱいあります。かつてあまりに優秀で故障知らずで長持ちする冷蔵庫を作ってしまったために、誰も買い替えず、結局、商品が売れなくなって倒産した冷蔵庫製造会社の話を聞いたことがあります。この会社の場合、顧客の冷蔵庫を買い替えるというニーズを開拓できなかったということではないでしょうか。例えば、従来の冷蔵庫の問題なりを指摘し、それを解決するような新たな商品を提供できていれば、この会社もあるいは残っていたかも知れません。研究も結局そういうもので、よい研究、しっかりした研究をするのは当然ですけど、研究費を頂くためには、加えて資金を提供する人々や社会のニーズを満たしている必要があります。
また、当然ならが、研究費申請の第一の目的は資金を得ることであり、その研究計画を実行することはまた別の問題です。資金を得るために通りそうな研究計画、研究費申請をして、その後にその資金を最も活用できるような研究に使うのです。最初はこの考え方を聞いた時は、それでは詐欺ではないのかと思いましたが、結局の所、どんな優秀な人間が立てた研究計画でもそれが期待通りに進むことはまずありませんし、長期的な研究の利益を考えると、資金のもとになっている研究計画に拘泥しない方が結果的にはプラスになることが多いのです。そういう理由で、研究費申請に際して、申請者も審査員も本音と建前を使い分けているのだと思います。
これは言ってみれば、入社試験の面接に似たところがあります。入社試験の面接で、面接官が質問するのは、候補者が会社の役に立つ人材かどうかを判断するために質問しています。例えば、「どうしてわが社で働きたいのですか」という質問は、質問に対する模範解答を知っているか、答え方、言葉の選び方などの常識を備えているか、そういう点を判断するための質問であり、質問者の会社や仕事に対する意見を知りたい訳ではないのです。面接試験はだから応募者(自分自身)を会社のニーズに応えるべき人材として売り込むセールス活動ですね。そこそこ優秀であること(商品のクオリティー)は最低条件として必要ですが、加えて会社のニーズを満たすかどうかが重要な採用のポイントになるでしょう。
研究申請書も同じだと思います。申請者が本当は何の研究をしたいのかは二の次です。審査員は、申請者がその分野でのニーズを把握しているか、それに応えるためのよいアイデアを出す能力があるか、意義のある研究を遂行するだけの能力があるか、を判断しています。端的に言えば、質問者に資金を提供することが研究界や社会にとってプラスになるかどうかを知りたいのです。それを満たしていれば(最終的に行われる研究の内容はどうあれ)お金を有意義に使えるだろうと推測して、OKを出すのです。
そういう理由があるので、入社試験の面接での質問の回答と同じように、研究申請書にも書き方というものがあります。申請書においては、それらのポイントをできるだけ多くクリアしていく必要があります。私は、自信を持って書いた研究計画が全く評価されずに落とされた経験、それから人の研究計画を審査する経験を通じて、研究費申請の書き方を多少、理解できるようになりました。以来、出す前に審査員がどういう反応をするか、大体わかるようになり、少なくともボロクソに言われて落とされる経験は減りました。私の場合、痛い目に合わないと重要な事は理解できないのですね。取り返しがつかなくなるまでに痛い目にあっておいてよかったです。
というわけで、研究申請書を書くことは研究そのものとは独立したセールス活動であり、何らかの楽しみをその活動そのものに見つけられないとやってられません。書く事で何か新しいアイデアを得たり、考え方がより鮮明になっていったりすることはしばしばあり、それらは研究計画書を書く大きなメリットです。加えて、書くことそのものも楽しめないと辛いです。私は、この最初の一ページの限られたスペースで押さえるべきポイントをいくつクリアできるかを自己採点しながら、得点が上がっていくのを楽しみにしながらやっています。
この1ページでやるべきことは、私の研究分野におけるユニークでかつ重要な問題を指摘し、その解決が如何に重要かを審査員に理解してもらい、そして問題の具体的な解決方法を提案した上で、解決するのに最適の人間が私であることを押し付けがましくないように主張することです。
大変、難しいです。しかも字数制限がありますから、限られた時間(スペース)でのセールストークをしないといけません。学生時代に訪問販売のアルバイトを試しに一日やったことがありますが、そのときにセールスの難しさを実感しました。何より商品が良くないとダメです。しかし、「良いものなら売れるか」と言われるとそういうものではありません。商品はあくまでお客さんのニーズに合うことが第一で、そのニーズに加えて高品質であることが大切です。商品は良くても売れないものはいっぱいあります。かつてあまりに優秀で故障知らずで長持ちする冷蔵庫を作ってしまったために、誰も買い替えず、結局、商品が売れなくなって倒産した冷蔵庫製造会社の話を聞いたことがあります。この会社の場合、顧客の冷蔵庫を買い替えるというニーズを開拓できなかったということではないでしょうか。例えば、従来の冷蔵庫の問題なりを指摘し、それを解決するような新たな商品を提供できていれば、この会社もあるいは残っていたかも知れません。研究も結局そういうもので、よい研究、しっかりした研究をするのは当然ですけど、研究費を頂くためには、加えて資金を提供する人々や社会のニーズを満たしている必要があります。
また、当然ならが、研究費申請の第一の目的は資金を得ることであり、その研究計画を実行することはまた別の問題です。資金を得るために通りそうな研究計画、研究費申請をして、その後にその資金を最も活用できるような研究に使うのです。最初はこの考え方を聞いた時は、それでは詐欺ではないのかと思いましたが、結局の所、どんな優秀な人間が立てた研究計画でもそれが期待通りに進むことはまずありませんし、長期的な研究の利益を考えると、資金のもとになっている研究計画に拘泥しない方が結果的にはプラスになることが多いのです。そういう理由で、研究費申請に際して、申請者も審査員も本音と建前を使い分けているのだと思います。
これは言ってみれば、入社試験の面接に似たところがあります。入社試験の面接で、面接官が質問するのは、候補者が会社の役に立つ人材かどうかを判断するために質問しています。例えば、「どうしてわが社で働きたいのですか」という質問は、質問に対する模範解答を知っているか、答え方、言葉の選び方などの常識を備えているか、そういう点を判断するための質問であり、質問者の会社や仕事に対する意見を知りたい訳ではないのです。面接試験はだから応募者(自分自身)を会社のニーズに応えるべき人材として売り込むセールス活動ですね。そこそこ優秀であること(商品のクオリティー)は最低条件として必要ですが、加えて会社のニーズを満たすかどうかが重要な採用のポイントになるでしょう。
研究申請書も同じだと思います。申請者が本当は何の研究をしたいのかは二の次です。審査員は、申請者がその分野でのニーズを把握しているか、それに応えるためのよいアイデアを出す能力があるか、意義のある研究を遂行するだけの能力があるか、を判断しています。端的に言えば、質問者に資金を提供することが研究界や社会にとってプラスになるかどうかを知りたいのです。それを満たしていれば(最終的に行われる研究の内容はどうあれ)お金を有意義に使えるだろうと推測して、OKを出すのです。
そういう理由があるので、入社試験の面接での質問の回答と同じように、研究申請書にも書き方というものがあります。申請書においては、それらのポイントをできるだけ多くクリアしていく必要があります。私は、自信を持って書いた研究計画が全く評価されずに落とされた経験、それから人の研究計画を審査する経験を通じて、研究費申請の書き方を多少、理解できるようになりました。以来、出す前に審査員がどういう反応をするか、大体わかるようになり、少なくともボロクソに言われて落とされる経験は減りました。私の場合、痛い目に合わないと重要な事は理解できないのですね。取り返しがつかなくなるまでに痛い目にあっておいてよかったです。
というわけで、研究申請書を書くことは研究そのものとは独立したセールス活動であり、何らかの楽しみをその活動そのものに見つけられないとやってられません。書く事で何か新しいアイデアを得たり、考え方がより鮮明になっていったりすることはしばしばあり、それらは研究計画書を書く大きなメリットです。加えて、書くことそのものも楽しめないと辛いです。私は、この最初の一ページの限られたスペースで押さえるべきポイントをいくつクリアできるかを自己採点しながら、得点が上がっていくのを楽しみにしながらやっています。
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